夜明けの少し前に

第九話





 外に出れば、既に空は闇色。
 半輪に近い月が星と共に林の木立を浮かび上がらせるが、それはやはり心もとなく―――






「暗いな……」

「―――じゃあ、明かり出しましょうか」

「え!?」

 蝋燭をこっそり借りて来ればよかったと後悔していたリードの言葉に、シルアがさらりと応える。
 驚くリードがシルアの方を振り返ると、シルアは既に準備に入っていた。

 準備とはいっても、単なる動作みたいなものである。
 ぴっと人差し指を立て、その先を紺の瞳が特に感情を込めずに見つめる。
 リードの緑の瞳がそれを見ると、その先にはふよふよとした―――

「――――」

 ほわん、と大きさを増して子供の手のひらに収まるサイズになったそれは決して眩しいものではない。
 小さな星が落ちてきたみたいだと、リードはしばしぼんやりとそれを眺めた。

「……これで、明るくなったでしょう」

 珍しく、少し悪戯っぽく微笑んでみせるシルア。
 それは魔術を知らないフォルンの少年の驚きや感心する様からの無意識なものなのだろう。

「―――へ!? あ、ああ」

(笑ったの初めて見た)

 ぼうっとしていたリードは我に返るとその光球の周りを見る。
 確かに足元に雑草や落ち葉が重なる様が見えるし、少し先の木立も見える。

 盗賊のアジトみたいなものは、この林の少し入ったところにあるらしかった。
 木造の一見粗末な、標準よりは大き目の山小屋のようなものだが、隠れ蓑としてはそれが相応しいだろう。

 辺りはやけに静かで、虫の声ぐらい聞こえるかと思っていたのだが―――

「……化け物とか、居ないよな……」

「あ……」

 不安になったリードの呟きに、シルアも肩から下げている鞄の紐をきゅ、と握った。
 荷物は無事回収でき、金品や武器などもちゃんと探し出せた。

「何だったのかしら、さっきの」

「さあな。あのエロおやじ達も居ないしな。なんなんだよ」

 ぶつぶつと呟きながら林を進んでいくリード。
 さわり、と何気なく吹いた風がシルアの髪を揺らす。

「―――……」

 シルアはまた妙な予感が通り抜けるのを感じたが、それは余りに微かで言うのも躊躇われた。










































「あっ、道だ!」

 リードが少し大きい声で言った。
 明かりがうっすらと浮かび上がらせたのは、茂みの先の木立が途切れた場所。

 茂みをがさがさとかき分け、やっと開けた場所―――元の街道に戻った二人。
 道の前後を見渡して、盗賊や怪しい影が無いかを確認する。



「よし、このまま林を急いで抜けよう!」

 リードの言葉にシルアは頷き、たっと走り出そうとして―――






 さわ、とまた風が吹く。
 月光が、気まぐれに流れる灰色の雲に翳った。






「―――あ」






 シルアが立ち止まった。
 リードもそれに気付いて、立ち止まり後ろに居る彼女を見る。

「どうかしたのか?」

 きょとん、と問いかけてくるリード。
 だがシルアの表情は緊張と―――恐怖に固まり、そしてその紺の瞳は彼の後ろに釘付け。



「前……」

「えっ?」

 やっと出したシルアの声にリードは再び前を向く。
 そしてリードも、その緑の目を見開いた。









 風が先程より強く吹いて、雲を散らしていく。
 月光が再び地を照らし、それは二人の前に立ちはだかる影を浮かび上がらせた。









 ケモノの影。それが相応しい。
 細い四肢と頭があるのがわかった。それは月光の元でも闇色の毛を纏っている。
 うるる、と唸り声が聞こえた。

(―――狼?)

 シルアはごくり、と息を呑む。
 そうであればいいというわけでもないが―――この異様な雰囲気は、単なる野生の獣の持つものではない。
 何となく肌がざわつくような、微かに空気に混じるこの不快なものは一体……

「……犬か? それとも狼?」

 リードも同じ事を思ったようだが、やはりその声には疑念の色が濃く表れている。
 彼も同じく息を呑みながら、ゆっくりと腰に下げている剣の柄に手を掛ける。






 沈黙の間がひとつ、ふたつ。
 二人が、嫌な汗がこめかみに伝うのを感じた時―――!






 ウグルァァッ!!






 その“狼”の呪詛が混じった雄叫びが響き、次の瞬間には“狼”はリードに飛びかかろうとしていた!

「―――くそ!」

 リードは剣を鞘から引き抜き様に真横に一閃し、飛びのいた“狼”と一定の距離をとる。
 だがそこで、彼の後ろから―――少女の声が響き渡る!

「≪ブライト≫!」

 ギャン!

 リードが背に背負うように現れた強い光は、“狼”の目を灼いて一瞬怯ませた。
 背を向けていたリードはそれを好機と逃さず、“狼”に向かって走る。

 ざんっ、と袈裟懸けに刃を振り下ろすと、“狼”は毛を散らしてのた打ち回り、必死に身を起こして彼らとの距離をとった。
 だがリードは驚く。そう、毛しか散らなかった。確かに何か厚みのあるものを斬った筈なのだが、月光に輝く刃には一滴の血も見当たらない。

 はっ、はっと荒い息を吐く“狼”。
 しかしその息遣いはしばし経つと落ち着いたものになっていく。

 まさか。

 やがて“狼”が呼吸に乱れを見せなくなり、リードは焦る。
 そして認識する。あれは、ただの狼ではない。






「もしかして、―――妖魔―――」

「!?」

 シルアの愕然とした呟きにリードも驚く。

 妖魔。闇の獣、魔に仕えるモノ。
 刃や拳……物理的な干渉はほぼ受けず、姿かたちは様々で、それは皆一様に生き物の命を―――生命力を求め闇を彷徨う。
 その姿は―――あるいは蝙蝠。あるいはヒトガタ。あるいは得体の知れぬシンボル。あるいは……―――






 狼。






「なっ……じゃあ、どうやって倒すんだ!?」

「効く呪文があると思うから! 時間を稼いで!」

「わ……わかった」

 リードは再びちゃっと剣を持ち直し、その“狼”―――妖魔に向き直る。

 “狼”はただひたすらこちらの動きを窺っている。






「そこをどいて―――≪レイ・アロー≫!」

 リードが横に飛びのくと、その脇を幾条かの光の矢が駆け抜ける!



 ギャウ、と僅かに叫ぶ“狼”。
 避け切れなかった光の矢が足を掠めたらしい。






「もう一度……せめて動きを……!」

 シルアが焦燥にかられながら再び同じ呪文を繰り返す。
 するとリードは走り出しながら、

「任せろ!」

 と叫んで“狼”に立ち向かっていく。

 “狼”は今度の傷は回復しないらしく、多少鋭さに欠ける動きでリードの刃を避けていく。
 森の狼に襲われかけ剣で生き延びた経験を持つ彼には、その動きは普通の狼と変わらぬものに感じ、徐々に有利に攻めていく。

 しゅ、しゅんっと銀の軌道を闇に残しながらリードは“狼”を追っていく。
 そして大きく剣を振り下ろすと、“狼”は大きく後ろに跳ぶ―――






 シルアがそこを狙った。

「≪レイ・アロー≫!!」






 狼が着地する瞬間、何本もの光の矢がその闇色の身体を貫いた!!






 ギャグゥアアアッ……!






 背筋が凍るような断末魔。
 そして、“狼”の闇は月光の元、霧散して消えた。












「―――やったのか?」

「多分……」

「あれが……妖魔……」

 文献にはあっても、実物はその目で見ないとわからない。
 リードとシルアは呆然としながらその“狼”がいた場所を眺める。

 林には、また元の自然な静けさが戻っていた。





















 後日―――



 林の中で幾つもの変死体が発見されたことを、彼らは知らない。