夜明けの少し前に

第八話





「……うー」

 足をもぞもぞと動かしながら呻くリード。
 シルアは先程から余り動きを見せない。

(せめてこいつの猿ぐつわが取れればなぁ……)

 リードはシルアをちらりと見ながら思う。

 イシュフェルードの民は魔術に長けた一族の筈。
 彼女は巫女であるのだから、その力は秀でているのだろう。

 一方―――フォルンの民は魔術の素養がほとんど無いと言って良い。
 対立の一環はそこにもあるといえる。






 ばたん!






『!』

 二人が驚いてドアの方を見ると、そこには一人の小太りの男が。
 何となく脂ぎっている様子からして、風呂にはろくに入っていないのだろう。

 男は後ろ手にドアを閉めながら、へへ、と下卑た笑いを漏らす。
 良く見ると顔は赤らんで目はとろんとしており、どうやら酒を飲んでいたらしい。
 はあ、と酒臭い息を吐きながらどかどかと二人の元に近づく。

「んー? 大人しくしてたかぁ、お前ら」

 にやにやと笑いながら、まずはリードの鼻先にその赤ら顔を近づけて言う。
 むっと睨みつけるリードだが、男はがははと笑い飛ばしてシルアの方を向く。

「―――それにしたって、こっちは随分と……」

「…………」

 シルアには顔を近づけはしなかったが、その目の色は危ないものがある。
 彼女がぷいと顔を逸らすと、男は彼女に近づいていった。

「……っ!」

 シルアが怯えるように、耐えるようにきゅっと目を瞑ると、男は先程と同じく顔を近づけ、その整った顔立ちを間近で見る。きめ細かい白い肌が蝋燭の炎で浮かび上がる様もまた美しかった。
 リードが睨みつけるのも気にせず、男はぶつぶつと呟く。

「綺麗な肌、してんなぁ……」

「…………」

「巫女さんは一味違うな、え?」

「…………」

 シルアの白を基調とした、ゆったりとしている服を眺め回す。

「っとそうかぁ、お前らは喋れねえもんなぁ」

 返事を期待していたのかどうかは知らないが、またがははと酒の匂いを撒き散らして笑う男。

「さて、どうすっかな」

 男は無精髭の生えた顎に手をやりリードのほうを見て言う。

「それ専門のとこに売れるか……いや、どうだろうな」

 じろじろとリードの顔を見る。
 それ専門、という言葉が何を指すのかは良くわからなかったが少なくとも“売れる”という言葉が何を意味するかはぼんやりとわかった。

「まあ、それは後で考えるとして、だ」

 ぐりっと首を回してシルアの方に再び向き直る。
 そしてやおらゆっくりとした動作でシルアの縛られている足首の上辺りをその顎から外した手で服の上から掴む。

「!?」

 ぞわわ、とシルアの背を悪寒が走る。
 男はそれすら楽しむように徐々に近づいていく。

(何する気だよ、このおやじ……!)

 リードが怒りのようなものがふつふつと湧いてくるのを感じる中、男がだんだんと手を太ももの方に這わせていくのを見て―――



(くそっ!)



 彼は不自由な身体で思い切り勢いをつけて男に体当たりをした!

「うおっ!?」

 どっ!

 不意の攻撃に驚いた男はバランスを崩して尻餅をついた後、怒りの形相で起き上がりながらリードの方を睨みつける。
 リードは身動きの取れない状況に今更怖気づきもしたが、次にはしっかりと睨み返していた。

「ほほぉ……やってくれるじゃねえか……!」

 酔っていて気が立っていたのか、ゆらり、とリードの方へと向かう。
 涙目になっていたシルアが驚きはらはらとそれを見守る。

「むぐ……」

 リードが何やら呻く。
 男はそれを聞いて、怒りから急に、にやりと下品な笑みを浮かべる。

 そして何故か、リードの猿ぐつわを外した。

「!? ―――げほっ、何する……」

「声が聞けねーと寂しいからなぁ」

「な……?」

 にやにやと笑いながら今度はリードの方へと向かう。
 がっ、とリードの少年らしい細い腕が掴まれる。
 今度はリードが悪寒を走らせる番だった。

「若い男は初めてだからなぁ……いや、子供か?」

 子供。
 小柄なこともあって子ども扱いされることを嫌うリードは過敏に反応してしまう。

「な―――何いってんだよ、エロおやじ!!」

 そして悪寒をやりすごそうとつい叫んだのがまずかった。
 男が急に真顔になる。リードは嫌な汗が滲むのがわかった。

「……とびきり痛くしてや―――」






「お頭!!」

 ばたぁん、と開くドアの向こうには、若い男が焦りの表情で立っている。
 お頭と呼ばれた男はあからさまに不機嫌な様子で振り返る。

「ああ?! 俺は今、お楽しみのところなんだよ」

「ちが、お頭! 何か、化け物が出たとか騒いでまして!!」

「化け物だぁー?」

 若い男が混乱気味にそう言うと、頭はそうぼやいてしぶしぶと立ち上がると部屋を出て行った。

 ドアは完全に閉まらず、やや隙間が空いていた。









「……た、助かった……」

「……んー」

「あ」

 そう、あの男はリードの猿ぐつわを外したまま行ったのだ。
 シルアが脇で何やら呻くのを聞いて、リードは考えた。

(あっちの部屋に、俺の剣とか……ナイフでも何でもいい、何か切れるやつを!)

 化け物騒ぎで人が居ないかもしれない、とリードは芋虫のようにずりずりと床を這ってゆき、ドアの隙間から向こうの様子を覗く。

 そこから見える限り、人の気配は無い。蝋燭の炎が幾つかちらちらと揺れているらしい。
 あそこの山積みになっているのはおそらく今まで戦利品だろう―――



「……今から、ナイフとか剣、探してくる」

 こく、と不安げに頷くシルア。
 リードはそれを見て、顔と肩を使ってドアを何とか動かす。
 そしてまたずりずりと進んで行く。思っていた通り、部屋は無人だった。

 リードはひとまずほっと息をつき、そしてその戦利品の山を目指す。
 辿り着くと、自分の剣を最初は捜そうとしたが―――何しろ他の様々な武器が積み重なっていて崩れたら音が届いてしまいそうだ―――それはやめ、手近な小剣を歯で挟んで再びドアへと向かった。
 途中、盗賊がこちらに戻ってこないか冷や汗ものだったが、それは無かった。

 ドアの隙間から入り、今度は小剣でドアを押して閉めると今度こそ安堵の息をつく。






「んん」

「うー……」

 リードが何とか鞘から小剣を抜き、それを後ろに括られている手で掴む。
 そしてシルアの方へと向かい、手首を縛っている縄を切りに掛かる。

 す、す、と繊維を何本かずつ削っていく作業。
 手を傷つけないように―――と考えるとどうしても大胆な動きは出来ない。

 根気強く続けていると、残りの繊維が独りでにちぎれシルアの手がぱっと離れる。

「おっ」

「ん!」

 シルアはその自由になった手でまず自分の猿ぐつわを外し、それから小剣を取ってリードの手首の縄を慎重に切っていく。

 それからシルアの足、リードの足と順番に縄を切り、晴れて身体は自由となった。






「よ、よかった……」

 ふう、と息をつくリードとシルア。

「でも、どうするの?」

「逃げるしかねーだろっ」

 シルアの問いにそう言ってリードは、あ、と声を上げる。

「剣とか荷物とか、探さなきゃだな」

「ええ」

 そうして二人は数時間ぶりに立ち上がると、ドアの方へと向かった。