夜明けの少し前に 第四十四話 「なんだ……!?」 リードが緑の瞳を見開いている。 シルアの手の内にある、オリハルコンの結晶――― それは彼女の血を数滴垂らしただけで激しく発光し始めた。 そして今、それは劇的な変化を遂げた。 真夜中の漆黒を溶かし固めたような不思議な色に光る石は、一瞬目も眩む白い光を発したかと思うと、みるみるその純度を上げていく。 最後には、無色透明の一転の曇りも無い水晶のような石が彼女の手のひらに乗っていた。 カサリ…… 乾いた音にはっとしてリードは振り返る。 いつの間にか土くれの塊を模る妖魔たちは土を支配することもままならなくなったらしく、その場で仮身を崩れさせていた。 「……どうやら、その石が原因だったらしいな」 エイジスがぱっぱっと衣服についた土を払いながらシルアの方へと向き直る。 と――― 「シルア!?」 リードが素っ頓狂な声を上げて走り寄る―――ぐらりと身体が傾いだ少女の元へ。 あの時から再び身を預けた少年の腕の中で、少女は旧い、旧い夢を視た。 雨が降っていて、その中で立ち尽くしている人が居る。 雨は酷くもなければ霧の様でもない―――誰もが覚えがある、ありふれた雨の日。 傘も何も持たないで、虚ろな目で泣き続ける空を見上げる。 黒髪に、黒の瞳に、血の気の引いた肌に等しく雨粒は降り注ぐ。 哀しみも感じられない表情は生きている人を見ている心地がしなかった。 変化があった。 どこからか、自分と同じ黒い髪の少女が現れる。 少女は躊躇いも無く、その生気のない青年に走り寄っていく。 両の手に抱え持つのは既に濡れかけた大きめの布。 立ち尽くす青年の為に、冷えないようにと持ってきたのだろうか。 どこか頼りなげな青年のことを、迎えに来たのだろうか。 だが、青年は少女を一度見下ろし、また空を見上げる。 蒼の気配も見せない、濃い灰色の世界。 少女もそのまま青年と共に立っていた。 艶のある黒髪が濡れていく。 寂しい顔をしているかと思えば、それ一つで片付けられるような表情はしていなかった。 ただ、何かを待っているようだった。 青年ははっとして、瞳に生気を戻す。 隣に立っている少女を見て、彼女が抱える布を手に取る。 少女が見上げる間にも青年は布を広げて彼女の頭から被せた。 薄い整った唇が動く。 ―――ひ、え、る。 少女はその言葉に嬉しそうに微笑んで、自然と空いた手は彼女の腹部に当てられる。 それから、次に両手で自分にかけられた布の片側を持ち上げ、背の高い青年の頭の上まで持っていこうとする。 青年は無表情だった―――だが、この時は僅かに何か柔らかいものを見せた。 彼はその布の端を持ち上げ、二人で布を被る。 嬉しそうな少女と無表情の青年は、その場から去ってゆく。 小高い、丘のような場所から―――道を、下って…… 「―――の問題だ。このままでは……」 「無理に事を急ぐな。確実に現れる、焦ることは無い」 「おいっ」 「ん?」 「静かにしろよ。シルア、寝てるんだ」 「……すまないな」 「うむ」 見知らぬ二つの影が遠ざかり、私の意識は帰って行く―――現実へと。 目を開けると、知らない部屋の板張りの天井が目に入る。 「あ……」 声が聞こえて、シルアはそちらに顔を向けた。 見慣れたこげ茶と緑が視界に入る。 「気分は? あ、えっとな。あの時、シルアは倒れたんだ……わかるか?」 「何となく……」 安堵の表情を見せるリード。 その後ろには、もう大分見慣れた面々が揃っていた。 「石の魔力に当てられたのだ。命に別状は無い」 銀髪の初老の男―――キーニアスも心なしか安心したようにそう告げる。 紅髪のエルフ、エルリアは微笑んでは居なかったが、特に緊張したものは見られない。 「……ここは?」 「テードルだ」 シルアの問いに、黒髪の美麗な青年―――エイジスが答える。 「済まないが、気を失っている間にサンカから一番近い町の宿に運ばせてもらったよ―――そこの」 「シルア、もう起き上がれるか!?」 エイジスの面白がるような言葉を遮りリードが少し声を大きくしてそう言った。 エイジスがくっくっと笑っている。 「そんなに急かすな。病み上がりだ」 「…………」 急かしたのは誰だよ、とリードはじろりと後ろに居るエイジスを睨みつける。 シルアはいま一つ状況を理解できずに各々の顔を見比べる。 「―――申し訳ないが殿方にはここで退出してもらいたい」 唐突にそう言ったのはエルリア。 キーニアスとエイジスは事得たりと頷いて大人しく部屋を出て行こうとする。 リードは仕方ないというように席を立ち、エイジスの視線に挑発され次には急いで部屋を出て行く。 ぱたん、と木のドアが閉められ、部屋に残るのはエルリアとシルアの二人となった。 シルアがどうして良いか判らずぼうっとしていると、エルリアは近くにある椅子を引っ張りベッド脇に置く。 無意識にエルリアの椅子に座る動作を見ていると、エルリアは、ふ、と珍しく微笑を見せる。 「騒がしくて済まない。改めて聞くが、気分は?」 「あっ、えっと……大丈夫、です」 「眩暈だとか頭痛は無い?」 「はい」 少し柔らかさが感じられる声にシルアは少し安心する。 今まで一対一で話したことが無かったし、何しろ状況が状況だった。 言葉遣いは最初と変わらず男のようだが、どこか凛とした空気がある彼女にはそれも似合っているような気がした。 「そうか。だがこういう時だ、たっぷりと休むといい」 「えっ、でも」 「いいのだ。ここまで急ぎすぎた―――まだセン=ルムの霧は晴れていない」 「あ……」 セン=ルム、“霧の海”はその名の通り常に濃い霧で覆われている海域のことだ。 そこに彼女らが目指す場所、ソア=ルーン―――“月の逢瀬”はあるという。 シルアは初めて心から安堵した。 エルリアはそれを見て、話を続けた。 「一日もあれば港町には辿り着ける。……その前に」 「?」 「少し、色々話そう」 予想もしていない提案だったが、女同士ということもあってか断る理由はどこにもないと思えた。 |