夜明けの少し前に

第四十三話





「ここ最近、妙なモノが人を襲うんじゃ」

 ゆらゆらと机の上に乗るランタンの灯りが皆の顔を照らす。
 ディングは声を心持ち重くして話し出した。

「最初は妖魔かと思ったが、どうも勝手が違うらしくてな。
作業中に襲われた人間が反撃してつるはしを振り下ろしたら、そいつは見事に崩れちまったらしい―――土のようにな」

「……土……?」

 エルリアが不思議そうに呟く。
 ディングは懐をごそごそと探って煙管を取り出す。

「そうだ、どこから見てもそれは土じゃった。実際にわしも叩き潰してみたが同じじゃ。
形はの……じゃがいもみたいな塊から虫みたいな足が四本ぐらい生えとる、妙なものとしか言いようがないんじゃ」

「……ふむ」

 キーニアスは神妙な顔をして頷いた後、顔を上げて話す。

「確かに現れ方は違うが―――おそらく、それは極々力の弱い妖魔が土を借りて具現化したものだろう」

 他の五人は、それを聞いて安堵とも不安ともとれない感情を抱く。
 今までにも遭遇してきた妖魔だといって、危険が無いとは限らない。

「―――……」

 エイジスのやや曇った表情がランプに照らされる。
 そして心の中では、焦りを覚えずには居られない。



「―――そうだ旦那、旅の理由はわしが聞いても良いものか?」

 びく、とシルアの肩が震える。
 幸い、ディングはそれに気付かずにキーニアスの深緑の瞳を眉の下から見つめる。

「……どうしてもと言うのなら」

 リードは緊張した面持ちで、隣のディングの言葉を待った。
 だがそれは彼にとっては予想外で、キーニアスにとっては予想内だった。

 ディングは煙草を詰めて火をつけた煙管をぷかりと一回ふかし、

「なら―――いらん」

「そうか」

 髭と眉が上手い具合に表情を隠してしまい、興味があるのかないのかリードにはわからない。
 ディングはそう言って煙を吐いていたが、ランタンをまた持って思い立ったように椅子から降りる。

「ディング殿?」

「代わりに、ちとついてきてくれんか」

 そう言うと、部屋を出て行こうとする。
 キーニアスがそれを追おうと席を立ったので、他の者も遅れて椅子から立ち上がった。













































 部屋を出て、また例の空間に戻る。
 丸い天井、丸い床。そこを下の方へと横切る廊下の一つを進む老人の後を追う五人。
 やや心許無い手すりに捕まりながら、だんだんと下っていく。
 やがて辿り着いたのは、土の壁―――そのまま突き当たった場所だ。

 ディングはしゃがんでぱっぱっと土を払う。
 小さく土煙が上がって、ふむ、と聞こえたかと思うと彼は立ち上がった。

「……旦那、見てくれんかの」

 そう言ってそこを退く。
 キーニアスはその場所に歩み寄り片膝を立てしゃがんだ。

 しばしキーニアスはそうしてその場所を見ていたかと思うと、立ち上がる。
 そして振り返った。



「―――シルア」



「……?」

 名を呼ばれ、シルアは面食らった顔をする。
 どうしてよいかわからず―――とりあえず、その場所に近寄る。
 キーニアスはディングとは反対側に退いた。



 しゃがみこんで、その場所を見た。
 濃い色の土壁の中に―――何かが埋まっている。



「これ……?」



 思わず、す、と指を伸ばした。
 触れると、僅かにそれが動く。もしやと思い、親指も使ってその僅かな出っ張りを掴んでみた。
 少し引っ張ってみるだけで、みるみる周りの土が乾いたように崩れていった。

「おお……」

 ディングが髭を震わせその様を見る。
 シルアはどんどんと姿を現していくそれを、最終的に手にとることができた。

「何でしょう、これ」

 手のひらに乗るそれは―――石だった。
 光沢のある黒で、動かすたびにそれは玉虫色というのかきらきらと虹を纏って光った。
 形はいびつな四角の結晶のようで、大きさはシルアの親指と人差し指で持てる程度のもの。

「オリハルコンの……結晶じゃよ」

「オリハルコン……」

 ディングが恍惚と言う。
 シルアはその単語を繰り返す。

「オリハルコンというのは余り大きな結晶を作らん。特にそれは、密度が高いじゃろう」

「でも、何でこんな簡単に取れるのに今まで?」

「シルア、お前にしか取れないのだよ」

 キーニアスが代わりに答える。

「何故……ですか?」

「…………」

 シルアの問いに、彼は険しい表情をする。
 いけないことを聞いたのかと周りの人物の顔もちらりと見回すが、彼らもよく事態を理解してはいないようだった。
 無言の空間が居た堪れなくなり、シルアは質問を撤回した。

「あ、あの、やっぱりいいです……すみません」

「……しばらく、それは持っていてくれないか」

「は、はい」

 表情が変わらぬままのキーニアスの言葉に、シルアはやや怯えがちに頷いた。
 その白い手の中にある輝きはそ知らぬ顔をしているように気まぐれに煌く。

「……ディング殿、ここからテードルに―――」

 気を取り直すようにキーニアスがディングにそう話しかけた途端―――



 カサ……

 僅かに聞こえた、乾いた音をエルフの耳は逃さなかった。



 エルリアはその方向に視線を定めようとして―――すぐに別の方を見る。

 カサ、カサ。

 どんどんと増える音と徐々にぴりぴりとしていく空気にその場に居る全員が緊張を露にする。

「来よったか」

 ディングが側に落ちていた金槌のようなものを拾い上げる。
 リードは剣の柄に手をかけつつシルアの側に歩み寄った。

 シルアは手の内にあるオリハルコンの結晶を、ぎゅ、と胸元で握り締める。
 何故だろう、何故か落ち着かない―――この状況のせいか、それとも……?



「―――来るぞ!」

 エイジスが叫ぶ。

「―――っ!」

 リードがシルアめがけて飛んできた―――そう、土の塊に足を生やした妙なものを素早く抜いた剣で一閃した。
 それはあっさりと切られたかと思うと、もがくこともせずそのまま空中で既に崩れ去ってゆく。

 別の方向から飛んできたそれを今度はキーニアスが衝撃波のようなものを当てて砕いている。
 中には見境無く襲ってくるものもいるらしく、ディングが「こいつめ」とぼやきながら意外に俊敏な動きで金槌を振るっていた。
 エイジスはエルリアを庇う形で、向かい来るそれらを術で一掃していた。
 一方彼女も負けじと片っ端から光球を的確に当てていく。

 奇声の一つも上げず襲い来る気味の悪いものにシルアは対応が追いつかない。

―――気が散る。

 一生懸命集中しようとしても、不思議なほどに胸元にある石は自分の意識を惹きつける。
 焦りながら、リードが剣を振るう様を目で追ってばかりだ。

「何だよこれ、キリが無い!」

 リードが痺れを切らしてそう叫びながら剣を振るう。
 崩れた土くれを足で踏み、ご丁寧に一匹ずつ向かってくるそれらを睨みつける。
 いつの間にか周りには至るところにそれがひしめいているらしく、キーニアスはその光景を見て嘆息し―――

「シルア」

 彼は落ち着かない様子の少女に近づくと、彼女の片方の手を取る。
 白く細い指を見下ろしキーニアスはしばし躊躇う様子を見せる。

「……?」

 シルアが何が何だかわからずにおろおろと彼の表情を見ている。
 すると彼は突然―――その白い指をぐいと引っ張り、屈んでそれに噛み付いた。

「っ!」

 いや、正確には人間の物よりも数段鋭い犬歯のみを突き立てる。
 紺の瞳が僅かな痛みに歪む。
 そして小さい傷口から零れる……真紅。

 キーニアスはそれを確認すると、もう片方の手の中にある結晶の真上に、噛み付いた指を―――その血を、垂らす。



 オリハルコンの結晶は少女の血を纏い、内側から滲むように輝きだす。



「……!」

 シルアの顔が、黒い石の発する光に照らされる。
 いつの間にか、襲ってきていた土の塊たちは、たじ、とその奇妙な足を退かせた。
 それに気付いたエイジスやエルリア、ディングもその様に視線を注ぐが、中でもキーニアスは珍しく焦りや緊張と言ったものが色濃く現れていた。

 やがて結晶から滲んでいた光は突き出るように鋭く辺りを照らし出す。

(どうして、私の血で……!?)

 キーニアスの行動にも驚いたが、何より自分に全く関係の無いように思われる結晶が自分の血液で著しい反応を見せる。
 肌の上の激しい光は熱を伴わないが、少なくとも視覚の上では凄まじい熱が伝わってくるようだ。



 訳も判らずどうしようもなくだんだんと増す眩しさに、きゅ、と瞳を閉じた時―――変化は、一瞬だった。