夜明けの少し前に

第三十九話





 改めて―――今度は―――見上げるその建物は、やはり贅を尽くしたものだった。
 王城を一人用―――いや、一人でも過ぎるのではないかとは思うが、とにかく彼のためだけに小さな城を作ったという印象だ。

 人が入りにくいところだというのに、手入れは勿論、ひびなど一つも見当たらない。
 青年が黒髪を揺らし扉を開いているのを見て、足を動かした。





















 うるる……

「!?」

 動物……猛禽類の、唸り声。
 リードとシルアは焦って辺りを見回すが、エルリアとキーニアスは平然としていた。

 この“月の館”に入り、最初の広間を歩いていた五人。
 常に明かりを灯しているわけではないのか、エイジスが壁にかけられたランプのようなものに術で光を灯す前に聞こえてきたのだった。

「私が飼っている豹だ。噛み付きはしない」

「……豹」

 リードがごくり、と息を呑む。
 エイジスが楽しげにそう言ったのち、広間に一斉に明かりが灯った。

 正面に対象に曲線を描く階段、二階部分の壁伝いにある廊下。
 その手すりに前足をかけ、音も立てずに軽やかに飛び降りた黒い生き物がこちらに向かってくる。

 それは、紛れも無く豹―――黒豹だった。
 しなやかで細い体躯、揺れる長い尾。遠目から見ても滑らかに艶めく毛並みは四肢が動くたびに光沢を放った。
 金の瞳は主人のみを捉え、その足は主人の元へ向かう。

「ズナーク」

 撫でようとすると自ら鼻先や頬を擦り付けてくる美しい豹―――ズナークを、エイジスは少し穏やかな表情で愛でる。
 ズナークはしばし主人の足に身体を擦り付けるなどしていたが、やがて甘える表情を消して四人の客人を金の瞳で見据えた。

「……賢い豹だ」

 キーニアスも心持ち穏やかな表情と声で賛辞の言葉を贈る。
 ズナークは静かにキーニアスに歩み寄ったかと思うと、瞳を閉じ頬を彼の手に擦り付けた。

 そしてそのまま滑るように彼の脇を通り、側に居るエルリアの元へ行く。
 エルリアが珍しく微笑を浮かべ細く白い手を差し出すと、ズナークは額をその手に触れさせた。

「…………」

 シルアがびくりと怯え、ズナークの視線を受ける。
 歩み寄ったズナークが二度三度身体を擦りつけながら彼女の周りを巡る。
 そしてふんふんと匂いを嗅いだりとしているのを見てシルアも少し緊張がほどけてくる。

「ズナークはそこいらの豹よりずっと賢い。大丈夫だ」

 エイジスがそう言うので、シルアはそっと手をズナークの頭の高さに差し出した。
 すると猫と変わらぬ仕草で小さな頭を寄せてくるのでシルアはそれに愛しささえ覚えた。

 最後にリードの元へと向かっていくズナーク。

「うっ……」

 小さく呻き声をあげて身構えそうになるのを我慢し、ただそこに立っている。
 ズナークはそれを見て何を思ったのかはわからないが―――つい、と尻尾を彼の手に触れさせ、その後はさっさとエイジスの元に戻っていった。

「…………」

 なんだか拍子抜けすると同時に物悲しさがそこにあった。
 彼は昔から犬とはよく遊んだが、何故か猫は余り慣れてくれなかった。













































「―――どうやら、仲間割れが起きているらしい」

 通されたのはエイジスの自室だった。
 彼が言うには、この部屋が一番月の魔力を利用しやすい場所なのだという。
 各々が立つなりソファに掛けるなりして、彼の話を聞いていた。

 エイジスの結論に、キーニアスは顎に手を当て、ふむと頷く。

「灰髪の魔族……見たことも聞いたことも無いが。生まれて間もないのか」

「……また増えたのか……」

 エルリアが憂鬱そうに呟く。
 リードはそのやりとりを聞いて、疑問を唱えた。

「なぁ、その……」

「どうした」

「魔族って、一体何なんだ? 生まれて間もないっていうなら、なんであんな沢山の蝶を操ったり―――」

 キーニアスはやはり顎に手を当てながら唸り、話し始めた。



「魔族は、未だに謎が多い種族だ」

 リードとシルアの二人は真剣に聞いている。
 エイジスは聞くともなしに視線を床に落とし、エルリアはやや不機嫌そうに窓の外を見ていた。

「どうやって生まれるのか。どのようにして育つのか……我らの知はそこまで届いていない」

 キーニアスは、ふ、と小さく息をついて続けた。

「基本的に、姿形は人間と変わらない。
髪や瞳が特殊な色をしているわけでもなく、強いて言えば容姿が端整な者が多いということだ。
とはいっても、我らが確認しているのはその成人した姿を十名程のみ。
そもそも子供の姿をした魔族を見たことが無い……どのようにしてあの膨大な魔力を扱う術を得ているのかは全く解らないのだ」

 エイジスの隣で優雅に寝そべるズナークの黒い尾が、ぱたりと静かに音を立てる。

「時折、人間が魔力を魔族に奪われるという事件が発生する。それ故魔族は殆どの種族が忌避しているのだ。
そこから調べて解ったのは、彼らは魔力がそのまま生命に直結しているということ。
生態の基本的形態が、一般の生物とは異なるのだ」

「魔族と他の種族との相の子は有り得ないという話も聞いたが」

「その通りだ」

 エイジスの言葉にキーニアスは頷く。

「今までそのようなことも確認されていない―――筈だ。
だが、何せあの魔族。何を隠しているかはわからない」

「相の子など生まれて何になる……そもそも、情も無く子など成せる筈が無い」

 エルリアの忌々しいといった響きの言葉にシルアは首を傾げた。

「情が……?」

 シゼーヌの女王―――サレネリアの言葉を思い出したのだ。
 エルリアが感情的になることを抑えるようにキーニアスがすかさず答える。

「彼らには愛情や慈しみというものが無い、というのが一般の通説だ」

「…………」

 無言のエルリアの指に、悔しげに力が篭る。

「サレディ=ヴィスタは、普段、人間を装って生活を送っているという極めて珍しい魔族だ―――そして、今一番魔族全体に影響を与えられるのもあの男だ」

 キーニアスはそう言い終わって、リードの顔を見る。
 まだ聞いたこと全部を消化し切れていないようだが、とりあえず次の質問は無さそうだとエイジスに視線を送る。

「……話を、戻そうか」

 エイジスがそう言ったので、皆の視線が一度彼に集まる。

「どこであの男が聞いているのかはわからないのは癪だが……それは置いておこう。
そう、そのサレディにどんな思惑があるのかは不明だ。だが今回のことで、とにかくあの男も他の魔族の介入を嫌がっているということがわかった」

「つまり、直前まではあの男が他の魔族を退けてくれるだろう」

「そう―――かといって、やはり何をされるかをわかったものでもないが」

 キーニアスの言葉にエイジスは苦笑し頷く。



「次の目的地は、ソア=ルーンだ」

 エイジスははっきりとそう告げる。

「テードルから出発し、テン=ルム―――“霧の海”へと向かう。
そこに、ソア=ルーンの島がある……いや、現れるだろう」

「それは確実なんですか?」

 シルアは図書館で得た知識を思い出し問う。

「月の力も薄れた今、その島を隠す力もそろそろ限界に近づいている。
人の目について噂になる前に辿り着き―――」

 そこで、エイジスは言葉を切った。
 他の皆も黙っている。……シルアも。



「―――そこで月の光を、返す」

 ぽつり、と。
 エイジスはそう言った。