夜明けの少し前に

第三十四話





―――抱く者、受け取るもの、差し出すもの。



 エルディレイリアと名乗ったエルフの女性は、僅かに興奮を滲ませてそう言った。

「月を……抱く?」

 シルアが呟く。
 エルディレイリアは、今度は僅かに訝しげに黒髪の青年を見た。

 は、というため息が彼の口から聞こえる。



「―――話そう」



 重く、憂鬱そうに一言を吐き出した。



























 エルフの女性―――エルディレイリアは、言うなればエルフの王族のようなものらしい。
 唯一の、エルフの頂点を継ぐ者。そして今は、彼らに会うためにここにやってきたのだと言う。

 青年の持つ名は、エイジス=ノル=セスタ=アリミドナール。
 141年前、ハルベルト王の第一子としてこの世に生まれる―――筈だった。

「筈……?」

 シルアが首を傾げる。
 リードも眉根を寄せていた。

 エイジスは苦笑を口の端に乗せた。

「死産だった」

「死っ?」

 リードが素っ頓狂な声を上げる。
 エルディレイリアの表情は変わらない。

「生き返ったんだよ」

「で、でも、どうして―――」

「王子」

 叱咤のような彼女の声にエイジスは諦めの表情を見せる。



「月だ―――月の光が、私の体内に宿っている」



 それは、偶然だったのかもしれない。

 何故月が、光を零したのか。
 それはわからないが、そこにたまたま―――この世界の空気を吸うことも叶わず息絶えていく赤子がいた。
 無垢で、何にも染まっていない、まだ空っぽといってもいい心。

 光は、引き寄せられるように……融け合った。



「その結果、私は周りの誰と似ても似つかない子供に生まれ変わった訳だ」

 彼は自らの髪を一房掴む。

「本当は黒髪なんかじゃない―――白髪なんだよ」

「白……」

 シルアが、その長い艶やかな黒髪を見つめる。
 純白の髪というのが想像できず、いま目の前にある彼の姿しか脳裏に浮かばない。

「だがその代わり、膨大な魔力を受け取った。お陰で勘も大分良くなった……暗殺の来る晩を知るくらいにな」

 ぱっと手を拡げ、掴んでいた髪をぱさりとマントの上に落とす。

「私は、月の光が自分の中にあることを知っていた。無意識……というのもおかしいが。
それを返さなければいけないと気付くのは少し育たないとわからなかったが……とにかく、必死で私は魔術と、我流の剣や体術を身につけた」

 その拡げた手を見下ろす。

「夜中に抜け出して図書室の本を勝手に見たりもした。剣も宝物庫から拝借した」

「楽しそうに見えるが?」

「まあ、それもあったな」

 無表情のエルディレイリアの言葉にエイジスも苦笑を浮かべる。



「だがな、月の光というのは―――私だけで扱えるものじゃなかった」



「月の光はそなたの魂と融合している。取り出すことは困難だ」

「ああ、というより出来ない」

 エイジスは指摘に頷き、訂正する。

「だから、私は待った。お前達が生まれ、そして旅立つのを」

「私達?」

「俺達を?」

 目を見開いて唖然とする二人。

 そしてシルアは、はっとした。

「―――もしかして、じゃあ、神託は……」

「やはり、聡いな」

 エイジスは複雑な微笑を浮かべる。
 エルディレイリアはどこか不機嫌そうに眉を寄せた。

「あの酔狂めが……」

「え?」

「まあ、その話は後だ。続けよう」

 エイジスはその呟きから意識を逸らそうとした。
 リードは聞く姿勢のままだったが、シルアは少し考え込むような表情をしていた。

「月の光は、闇を引き寄せる。
理由はわからないが、とにかく妖魔や魔族はこれが気になって仕方がないらしい」

 シルアがゆっくりと彼のほうを見てきたので、少し安堵して続ける。

「妖魔が活気付いては困る。そして―――月の光は空虚なものになっている」

「月の持つ力が、徐々に衰えていったのだ」

「シゼーヌの道を動かせたのは私の中にある月の光のお陰だ。あそこは本来、月の出ている晩にしか通れない。私が力を送り込んで何とか使えた」

「でも、一晩であんな距離……今日だって……」

 シルアが思っていた疑問を口にする。

「そう、普通は無理だ。だから、ところどころに密かに転移魔術が隠してある」

 エイジスは頷いて続ける。

「階段を踏んだ瞬間に、とかな」

「……そうだったんですか」

「そういうことだ。だが、月の光が衰えれば、あそこも作動しない。
妖魔が入り込んだり、道が崩れていたりしたのもその所為だ」

「話が変わっている」

「すまない―――で、だ。
シルア、まずお前は月の光を取り出し、受け取ることが出来る」

「私が……」

「そうだ。で、リード。お前はそれを一時的にその手におさめることが出来る」

「手に……?」

「ああ」

「どうして、ノジート……あー……」

 リードはそう言いかけて、何やら複雑そうに呻く。
 エイジスは察した。

「別にそれでも構わないし、エイジスでもいいが」

 だが、それにぴくりと長い耳を震わせたのはエルディレイリアだ。

「―――ノ・ジート?」

「…………」

 リードの漏らした言葉に反応する彼女にエイジスは沈黙する。
 だが、そうもいくまいと話を元に戻した。

「気にするな―――それくらいしか思いつかなかった。なんだ、リード」

「あ、えっと」

 リードは不意に話を元に戻され、やや間を置いて聞いた。

「どうして、受け取るとか差し出す人が必要なんだ? 元々エイジス……が持っているのに」

「体内にあるうちはまだいい。だが、それを外に出してどうこうしようとすると話は別だ」

 紫の瞳がけだるそうに細められる。

「月の光は高度なエネルギーそのものでもある。扱うにはそういう素質を持った人物が三人必要と言うわけだ」

「…………」

 まだ眉はしかめているものの、リードはとりあえず質問は消化した。
 シルアは俯いてしばし考え込んでいたが、やがて面を上げ口を開いた。

「―――あの」

「なんだ」

「そのままだと、私は神託を達成できません」

「…………」

 紺の瞳は、迷いや不安を隠せない。

 エイジスは口を強張らせたあと、不機嫌な表情のエルディレイリアを見た。
 彼女はふう、と息をついてドアの方を見やった。

 誰も居ないはずの、ドアの向こう―――









 コ、コン。









「……入れ」

 今度はエルディレイリアが不満ながらに許可を降ろす。



 ドアが静かに開かれ、そこには―――二人の人物が。









「……久しぶりだな」



 まず出てきたのは、やや初老に入った男性だった。
 ゆったりとしたローブに近い濃紺の服に身を包む、長身のしっかりとした体格。
 銀髪にオリーブグリーンの瞳が穏やかで厳しいような、そんな印象を持たせた。






「―――皆さんが御揃いだとお聞きしたので、お邪魔しましょう」






 そして二人目は―――正体不明・年齢不詳、という言葉がよく似合ってしまう人物。
 柔和な微笑が絶えず浮かぶ優雅な口元に、気品すら感じる茶の腰ほどまである真っ直ぐな長髪と紅の瞳。
 身なりも仕立ての良いベストやブラウス……それを着こなしていても、ただの貴族だとは思えない何かがあった。






 シルアは―――その穏やかそのものである茶髪の男の声に、驚愕した。