夜明けの少し前に

第三十三話





「―――何だと?」



 黒髪に黒の瞳。溢れる威厳は生まれか育ちか。
 老齢に入ったものの未だ確固たる意志の光を瞳に持つその人物は、王座から立ち上がってそう聞き返した。
 その動作一つに周りの空気が更に張り詰める。

「い、今……大広間で、待たせております……」

「…………」

 混乱も相まって震えて畏まりながら言う警備兵。
 だがその人物は彼の様子は今や意識の外だった。
 苦渋に眉をしかめ、また沈み込むように王座に腰を落とす。






―――エイジス=ノル=セスタ=アリミドナール。

 先々王の幻の第一王子。
 生れ落ちたその日のうちに花々が咲き乱れ月が闇に隠れ―――妖魔たちが跳梁跋扈する。
 様々な尾ひれがついて今や伝説となったその存在……



 だが真実は、王城の中にあった。






 一度生き返った、誰にも似ていない赤子―――






「……連れて、来い」

「は……はっ」

 そう命じるなり兵たちは弾かれたように立ち上がり逃げるように王の御前から去っていった。










































「俺達、どうしてればいいんだ?」

 リードがそう問う。シルアも同じ事を思っているようだ。

「いいから私の後ろに引っ付いていろ」

 一応シゼーヌの遣いなのだからな、と付け加える。
























 ぎぃ……ぃ……



 微かに軋む音を上げて、謁見の間の扉は開かれた。

 一直線に伸びる、赤の絨毯。
 叔父と甥は、初めて同じ場の空気を共有した。






「……そなた、が……」



 老齢の現国王―――ジルベルトは恍惚として呟いた。
 人外のようなその美しさに、畏怖を覚えつつも見惚れていた。
 それは、その場に居る者たちも同様であった。

 20を過ぎたかというそこらの青年。
 70も近づこうかという老人。

 祖父と孫といっても差し支えの無いその構図。
 だが、真実は悉く違った。

「何故……黒髪なのだ?」

「髪の色など幾らでも変えられる」

 青年は跪くことすらしない。
 後ろに居る少年と少女が明らかに戸惑っているのが気の毒だ。

「そうか……」

 ジルベルトは、それだけ言葉を交わすと額に手をやった。
 側近らしき人物が王座に近寄り気を遣って覗き込むが、王はそれを手で払った。

「―――シゼーヌからの遣いだと聞いたが」

「そうだ」

「内容は?」

「文書を預かってきた」

 マントの下の懐から出てくる、薄い色の細長い木箱。
 やや遅れて側近らしき人物が近づき、恭しくそれを受け取った。

 ジルベルト王はそれを受け取る。
 が、それを開けようともせずにただ手の内に収めてそれを見下ろすのみ。
 その眼差しの奥の感情は、誰にも測れない。



「……我が城に、客人がある」



 王は唐突に告げた。

「おそらく、そなたに会おうとやってきたのだ。―――後ほど、案内させる」

 青年はしばし、目の前の老人を見つめた。
 すると、側近の一人が少し前に進み出た。

「後ほど案内いたします……お下がり、下さい」

 王の態度に、側近も言葉遣いを迷っているようだった。



















































「あのさ」

 リードは、とうとう堪えきれずに話しかけた。

 今居るのは、王城の中の一つの客室。
 典型的な豪奢な造りの部屋の、客間のソファにリードとシルアは座っていた。

 リードは窓辺にいる人物を見る。
 長身の黒髪の青年は振り向かなかった。

「これから……なんて呼べばいいんだ?」

 リードは戸惑いを押し出して尋ねた。
 シルアもどきりとしながら青年の後姿を見つめた。

 今まで通りの“ノジート”という名が、二人の中の青年である。
 だがその『偽り』という意味の名を呼ぶのは忍びない。
 かといって本人が隠してきた名をどうやって呼べばいいのか―――。

「好きにしたらどうだ」

 リードは俯きかけていた顔をぱっと上げた。
 だがその表情は訝しげなものである。

「私はどちらの名前も好きではない」

「―――……」

 後姿に含まれる拒絶に気付き、シルアは哀しげに俯いた。
 元からそうだったかもしれないが―――自分達は何一つ、この人物のことを解ってはいなかった。

 青年は何を見ているのか。
 彼の生まれた国は、彼という存在に混乱を始める。
 王の苦渋の表情は一体、何を示しているのか。

「どっちも……って……」

 リードはぼやく。
 だがそれは反抗的というよりは、やるせない何かがあるように感じられる。

 窓の外は、まだ陽光が降り注いでいた。
 一部が部屋の絨毯の床にも差し込んでくる。
 思えば、シゼーヌとアリミドナールは山一つを隔てただけとはいえ何故こんなにも早く着いたのだろう。
 だがその疑問も今は突き詰める気にはならない。

「何なら、お前たちが考えてくれても構わないが?」

 青年は面白がる響きさえ含ませて振り向いた。
 口元には微笑。シルアは一目見てその中身が無いことに気付く。









 コン、コン。



 ノックの音に三人はドアの方を見た。









「エイジス殿下、客人をお連れ致しました」

 ドアの向こうからの既に王族という扱いの言葉遣いに、苦笑を浮かべる。

「入れ」

 許可すると、ドアが静かに開けられた。






「失礼致します」






 その人物を部屋に入れるなり、その使用人は早々に退いた。

 三人はその人物をただ不審を隠せずに見る。









 その人物は、女性のようだった。

 女性にしてみれば少し高めの背。
 純白の薄い布を幾重にも重ね、更に頭からベールのようなものを被って顔を隠している。
 その間から零れる、深紅の波打つ長い髪は白に散らばる宝石を思わせた。

 ゆったりとした袖から出るほっそりとした指が、ベールを払いのける。



「―――初めてお目に掛かる、エイジス殿」



「―――エルフ……!?」

 エイジスは驚きを隠せずその人物を凝視した。

 彼女はエルフだった。
 透けるような白い肌、紺の瞳に深紅の髪。
 聡明な顔立ちは愛らしくも透明感のある美しさがあった。
 長い耳が髪の間から見えるのを、リードとシルアは見入ってしまった。

 そのエルフの女性はシルアよりやや年上という容姿に関わらず老練とした口調だった。

「この時を待っていた」

 す、と音もなく一歩前に進み出る。
 張りのある迷いのない声だった。

「月の魔力が衰えゆくのを、我らは黙って見ている事しか出来なかった」

「…………」

 エイジスは何とも言えぬ表情で彼女を見ていた。



「我の名はエルディレイリア―――旧きエルフの血を継ぐ者」



 彼女はリードとシルアを交互に見やる。

「月の愛し子よ、よくぞ此処に集った」

 微かに、微笑んだ気がする。



「月を抱く者……そして受け取る者、差し出す者がようやく現れたのだ」