夜明けの少し前に

第三十二話





 二つにも三つにも分かれる道からひとつ選び最後に駆け上がった階段。
 その上には真四角の蓋のような出口があった。

「開けるぞ」

 ごく、と喉を鳴らしたのは誰だったか。
 ぱらぱらと落ちる砂に目を瞑りながら、垣間見る差し込む光はさながら夜明けの朝日のよう―――





















「な、なんだ!?」

「侵入者か!?」

「警備兵を呼べー! お前、呼んでこい!」









 騒然とする、重厚で風格溢れる天井高い広間。
 飾られる花々やタペストリーは華やかで、整然と並ぶ柱や緩やかな曲線を描く階段は大胆ながら技巧の尽くされたものだった。

 その本来は静かで厳粛な場所が、今はとある異常事態で警備兵が集まりつつある。









「…………」

 がらんっ、と。
 押しのけた大理石の板―――タイルを脇に放り出す。
 最早音を隠すことも無意味であり、一度出てしまった頭をもう一度引っ込めようなどとは論外である。

 ノジートは呟いた。






「―――間違えた」






「何してんだよ!」

 リードの叱咤が足元から飛んでくる。
 シルアは唖然としているらしい。

 ノジートは仕方なく、そこからとりあえず抜け出すことにした。
 勢いをつけてひょい、と狭い穴から脚を引き抜く。
 そしてやおらすっと立ち上がると、ぱんぱんと服につく埃や砂を払い始めた。

 緑や赤といった、階級が示される色を特徴とした鎧に包む兵たちもしばしその突然の侵入者に呆然としていた。
 と、その中からすっと彼の前に進み出た者がいた。

「貴様、何故そこから出てきた」

 ふん、と鼻を鳴らしながらその青の鎧を纏った人物はフードで顔の見えない男にそう問うた。
 青の鎧纏うのは彼しかおらず、周りの態度からして、その男は隊長か何かなのだろう。無駄に偉そうだが。

 ノジートはそれを一瞥した後、足元に声を掛けた。

「おい、早く上がって来い」

 すると、やや間を置いて皮手袋をはめた子供のような腕が現れる。
 ざわ、と微かなどよめきを抑えるように隊長らしい男が手で示した。

「……何だこれ」

 次に出てきたのは、こげ茶の髪に明るい緑の瞳の少年。
 その後ろから顔を出したのは、黒髪に紺の瞳の誰もが認める美少女。
 侵入者とは思えぬ面々に兵達は戸惑う。

 二人も穴から這い上がった後に服の裾などを払った。
 男もしばし呆然としていたがはっと我に返る。

「な、何をしに来た! ここはアリミドナールの王都フランデュス、王の住まう城なるぞ!!」

「へっ!? 城ぉ!?」

 リードが素っ頓狂な声を出してノジートを見る。
 対するノジートは先程からあまり動きを見せない。

「知っている」

 美声で平然とそう答えるものだから、男は癇に障ったのか、ずいと前に進み出る。

「ほほう……知っていて、のこのことやってきたというのか」

「手違いでな」

 穴の中を、と言うのを辛うじて堪える。

「では、その手違いとやらを説明してもらおうか……!?」

 鼻先近く―――といっても、男の並みの身長に比べノジートの長身はやや男を不利に思わせる。
 とにもかくにもそう詰め寄られ、ノジートはふう、と憂鬱そうに息をついた後。

「シゼーヌからの遣いだ。王に会わせてくれないか」

「シゼーヌ……証拠は?」

 しぶしぶと言うノジートに、男は尚も問い詰める。
 シルアがはらはらとそれを見ている。

「ここに文書がある」

 ノジートはマントの下の懐を探ると、精緻な彫刻の施された、細長い薄茶の木箱を取り出した。
 男はそれをふんだくる―――なんてことは流石にせず、そうっと受け取って上から下から右から左から眺める。
 だが、何か納得がいかないのか男はフードの下を覗き込む。

「顔を見せろ。王城でそのような無礼は許されんわ」

「…………」

 ノジートは、ふっと苦笑を浮かべた。
 口元は見えるらしく、男はかっと憤慨する。

「貴様! シゼーヌの遣いとやらを名乗るのなら―――!」

 そう言いかけて、ノジートがフードに手を掛けるその動作に見入った。



 もういい、面倒だ―――



 ふぁさ、とフードが背に下ろされる。

 おお……というどよめきは流石の隊長殿も―――






 流れる黒髪、紫水晶の瞳。
 稀なる顔立ちは神に愛されたかのような、美女とも見まごう美貌。
 長身痩躯、朗々たる美声は広間に鬨のように響いた。






「私の名はエイジス=ノル=セスタ=アリミドナール!
永い時を経てシゼーヌの知を授かって此処に来た! ジルベルト王に会わせろ!」






 その名は、本来は存在しない筈の名前。
 生れ落ちるはずの命は当に絶え、花や月までがそれを嘆いたという―――伝説。



「なっ……」

「アリミドナール……!?」

「おい、エイジスって……まさか」

 無理も無かった。
 まだ彼らがこの世に生まれる何十年も前の“伝説”だったのだから。

「早く謁見の間に連れて行け!」

 ノジート―――いや、エイジス=ノル=セスタ=アリミドナールはそう言い放つ。
 確たる証拠もないというのに、その神々しい容姿と滲み出る何かが隊長格の男の後ろに群がっていた兵の何人かを動かした。

「あ、アリミドナールだと……なっ、お前ら! 勝手に動くんじゃ……!」

 男は走り去っていった兵と目の前に居る王族であるはずの男を交互に見た後、ちっと兵達の後を追っていった。
 すると残っていた兵達も全て逃げるかのようにその後を追っていってしまった。









 シルアは、どう呼んでいいのかわからず、でもこの名を呼んだ。

「ノジートさん……名前……?」

「……偽名だったのか?」

 そこには裏切られただとか、大きなショックを受けたような響きは見当たらなかった。  ただ、純粋な驚きと……戸惑いが、ある。

「気付かなかったのか?」

 愛すべき愚か者―――というわけでもないか。
 兵が去った後も使用人たちがざわめいている広間に佇む青年は苦笑を浮かべて振り向いた。

「そりゃ、怪しいとは思っていたけど」

 リードは至極正直なことを言う。

「そういえば、他のことに頭が一杯で……」

 頬に手を当て少し恥ずかしそうに言うシルア。

「―――ノジートは、古代の言葉で『偽り』という意味だ」

「……まんまだな」

「考えるのが面倒だったからな」

「というか……」

 リードは改めて広間を見回す。
 先程の男の言葉を信じれば、ここはアリミドナール王国の王都フランデュスにある王城ということだ。
 そして今、目の前の青年は。

「あんた、何者なんだ?」

「謁見が終わった後に話してやるよ」

 リードの素朴な疑問に、妙に機嫌を直した微笑を浮かべて答えた。