夜明けの少し前に

第三話






 会議も終えたその夜。
 フォルンの村を囲む森は、夜になれば猛獣も出る。
 危険だということで、イシュフェルードの一行はフォルンの集落で一晩泊まることとなった。









 会議を終えた後、リードは父に問い詰めた。

『父さん! 俺、そんなこと一言も聞いてなかった―――』

『リード。では、私が事前にお前に伝えていたとしても、お前はこの会議に出たか?』

 父の厳しい、そして痛いところをついてくる言葉にリードは言葉を詰まらせる。

『……それ、は』

 出る、とも言い切れなかった。
 基本的に頑固でもある彼は、すぐに“敵”だとみなしてきた相手と親しもうなど言われても納得するはずが無かった。

『……お前は、いつでも自分の主張を曲げようとはしなかったな。だが、主張をする前に、良く考えなさい。自分の信念に、一点の矛盾も無いのか、ということを』

『……俺は……』

『リード。お前は、まだ若い。そして、強くなれる。誰よりも可能性があるのだ。
もし、この長らく続いてきた対立に、お前たちが何か出来るというのなら―――私は、それに賭けよう』

 お前たち、という響きはあの若い巫女も含まれているようにリードは聞こえた。

『出発は、一週間後だ。よく考え、決意をしなさい』

『…………』

 今回ばかりは、返事も出来なかった。
 そう言って去る父アラードの後姿を、リードは複雑な面持ちで見送ったのだった。




































(決意……決意って、言われても)

 リードは、自分の部屋でベッドに仰向けに寝そべりながら考えていた。
 蝋燭の暖かみのある明かりが、ぼんやりと部屋に広がる。

 オレンジに照らされるこげ茶の髪、明るい緑の瞳。
 その瞳は態度と裏腹にいつも真っ直ぐで、それはそのまま、意志の強さも示していた。

「……だー、どうすりゃいいんだよっ」

 ごろんとうつ伏せになってやけくそに言う。

 そして、脳裏に浮かぶのはまた、あの美しい少女の顔―――

「…………」

(夕食の時も、ずっと睨んでた……)

 いくら敵対しているとはいえ、ここまで敵意をむき出しにされると流石の彼も悲しくなってくる。

 フォルンの民にも青の瞳を持つ者はいたし、黒の髪をもつ者もいた。
 だが、あんな青も黒も、今まで見たことが無かった。
 強いて言えば、それは父が持っていた青の宝石や、月の無い闇夜のような漆黒のような―――……

 それは、彼が見てきた世界がそれだけ狭かったことを示しているようにも思える。
 世界には、見たことも無いものが溢れているのだと。

 それにつけても、あの少女の美しさは稀有なものだが。

「……散歩。散歩行くかっ」

 今まで考えていたことに急に恥ずかしさを覚え、無理やりに自分に提案をする。
 昼もそうだが、夜の散歩もまた彼の大好きなものでもあった。

 がばっと起き上がりベッドをひょいと降りると、流石に夜なので騒がしくならないよう普通に歩いて部屋から出ていった。













































 今夜の月は、まだ満ちていない。





















 いつも見ているはずの、星を散りばめた紺に浮かぶ、上弦を過ぎた月。
 だが、周りには濃い緑の匂いが昼よりやや涼しさを伴って漂っている。
 時折吹く、長い黒髪を揺らす夜風はとても心地の良いものだ。

 敵地という認識よりも好奇心が先に立って、部屋をこっそり出た後に近くを歩いてみた。
 泊まっている建物はこの集落から少し森に近いところにある。その入り口辺りにあった倒木に座り、飽くことなく夜空の主を眺めていた。



(……綺麗……)

 この空に輝く月を見ればいつもそう思うが、違う環境に居るとまた違う美しさが感じられる。
 その新しい発見にシルアは密かに胸を躍らせる。

 微かな虫の声も耳に心地よい。
 もう少し、もう少し、この森を渡る風を感じていたい―――



























 さわさわと吹く心地よい夜風を肌に感じながら、リードは森に向かって歩いていた。
 そこが、夜の散歩コースなのだ。

 大分気分も良くなり、またいつもの彼に戻りつつあった。
 と、彼はふと思い出す。

(森の近くって、確か)

 森の近くには、イシュフェルード族の泊まる建物があった。
 それが見えてきて、彼は一瞬足を止めるが―――

「寝てるよな。きっと」

 観光に来たわけではあるまいし、わざわざ彼らも出歩くこともないだろう。
 元々、そういう人たちには見えなかったが。

 そうして独り言を言いながら歩いていくと、森の広がる光景がだんだんと近づいてくる。



「……あ?」



 視界にあるのは、まだ満ちていない月、満点の星空、森の緑、闇に包まれる木立―――

 そして、入り口の倒木―――彼がいつも座っているのだ―――には、一つの白い影。






(!!)



 それは、あの、若い巫女―――



(なんで―――)



だが、それよりも目が離せない。



 月光の元に、白い夜着とショールのようなものが浮かび上がる。
 そして、それよりも白い滑らかな少女の肌が薄く光を帯びる。
 黒髪は艶やかに煌いて、澄んだ青の瞳は月そのものを映していた。

 そこだけが、幻のような世界に切り取られている。
 そこだけが、月の光を集めている。

 今まで見たことも無い、その神秘的な光景に彼は一瞬で目を奪われる。









 さわ、とまた夜風が吹いた。









 シルアは、はっと我に返る。風が運んできたかのような誰かの視線と気配を感じて。
 そして森とは逆の、村の方を見ると―――

「……!」

 彼女は一気に身を堅くする。

 一方、偶然にも出くわしてしまったリードも見とれて呆けていた状態からさっと気持ちを切り替える。

「…………」

「…………」

 どちらからとも動かない。
 ただ、黙ってお互いを見る。―――シルアは、睨んでいるといった方が正しいか。

 それに気付いて、リードは口を開こうとして、この距離では言葉が届かないことに気付く。
 仕方なく歩み寄っていくと、シルアはすっと立ち上がった。だが、逃げはしない。

 その視線を逸らさずにやや距離を置いて足を止める。
 そして、こっそりと深呼吸をして口を開く。



「……あのな。そうやって睨むの、やめてくれないか」

「…………」

「いくら、仲が悪いったって……結構、辛いんだけど」

「…………」

「俺は、睨んでないんだ。お前も、睨むなよ」

 決して目を逸らそうとはしないシルア。
 だが、先程と比べると、敵意は僅かに軽くなった。

「……わかったわ。努力する」

 透き通る声で答えるイシュフェルードから来た美しい少女の言葉に、フォルンの少年はどうにか息をつく。ここでやっと、虫の声がまた耳に入ってきた。

 だが、ここで言葉が途切れる。

 どうしたものかとリードは思い、そこで素朴な疑問を思い出す。






「その……イシュフェルードにとって、巫女っていうのは……そんなに重要なのか?」

「……当然よ。選び出すだけでも、どれだけ過程があると思っているの?」

「し、知るかよ! 知らないから、こうして聞いてるんだろうが……」

 棘のある言葉に、リードもつい語気を荒げる。
 だがシルアもそれに気付いたのだろうか、少し申し訳なさそうな顔をして今度は彼女から話し出す。

「……貴方、何も聞いてなかったの? その……お父さん、から」

「……昨日、聞こうとしたけど。なんか、逸らされちまった」

 実際うまくそらされてしまい、今更それに気付いたリードは何となく悔しくなる。

「でも、巫女のことはあんたがよくわかってるだろ」

「……ええ」

「色々、教えてくれないか」

「それは……」

 リードがそう求めるなり、シルアは言葉を濁す。
 リードはその様子を訝しく思う。

「……言えないのか?」

「ううん……そう、じゃなくて……でも、ごめんなさい」

 リードはそう言われ、それ以上聞けなくなる。
 その愁いを帯びた表情に、言葉が出なくなって。

「―――今まで、ずっと対立してきた人たちに協力を仰ぐって言うことは……大変、なのよ。でも、それくらい、大事なことなの」

 シルアは胸元に手を添え、慎重に言葉を選ぶように言う。

「……そうか……」

「だから、それだけは、わかって欲しい……」

 シルアは一度目線を伏せて、また彼の目を見つめた。
 だが、今度はもう睨んではいない。ただ、まっすぐに見つめる。

 リードもその視線に今度は別の意味で緊張しながら、応えた。

「……わかったよ。協力、する」

 その言葉に、シルアの表情と纏う空気が一気に柔らかいものになる。
 優しい言葉が出たわけでもなく微笑んだわけでもないが、確かにリードはそう感じたのだ。

 それに乗じて、リードは少し声を大きくして言った。

「―――あ、えっと。改めて、自己紹介な。俺は、リード・デイジャー。フォルンの長の、長男だ」

 するとシルアは少し驚いたような表情でこちらをまじまじと見る。
 柔らかくなった空気が、少しだけまた堅くなる。

(あ、調子乗りすぎたか)

 別に相手の機嫌取りをしたいわけでもないが、少し後悔する。
 だが、すぐにシルアから返事が来た。

「……私は、シルア=シャロン。イシュフェルード族の、新しい巫女よ」

 さぁ…とその時風が吹いて、彼女の黒髪と彼のこげ茶の髪が揺れた。
 リードは、月光が走るその黒髪が流れるようになびく様を、息を呑んで見入った。






「―――よろ、しく」

 やっと出た言葉でさえも、つかえそうだった。