夜明けの少し前に

第二話






 ぴちち、と鳥のさえずる声が、最初に耳に入った。
 それを運んでくるのはそよ風で、そよ風が渡っているのは木々の間―――森なのだ。

 フードを目深に被っていても、森の緑はしっかりと視界に入ってきた。
 成熟した深緑から、若々しい明るい緑。足元にも―――おそらく頭の上にも、可愛らしい、美しい花たちが様々に咲き乱れる。瑞々しい果物は、食べてくれとでも言うように熟れきっていた。

 眩しい、と思いながらも―――シルアは、この光景は美しいと思った。

(森人は……これと、共に生きているというのね)

 イシュフェルードの暮らす地は、フォルンの人々が予想しているよりはまだ豊かとも言える。
 作物だって育つし、果物だってちゃんとお目にかかれる。
 狩りをしないため、肉類は食べたことは無い。だが、別に食べてみたいとも思わなかった。

(野蛮だもの。やっぱり)

 さく、さくと土や背の低い雑草を踏みしめる音。
 彼女の周りには3人ほどの同じくフードを目深に被る護衛、そして少し前に、長が自ら歩き、その先は出迎えた初老の森人が先導している。
 こうやって歩いてみると、確かに道のような、木の無い通路があるようにも思えるのだが、流石にこれを辿れといわれては無理だ。

 茶色の髪。ちらりと見えた緑の瞳。
 森人は、皆、この色をしているという。

(森の色……なんだわ)

 その神秘さに軽く驚きながら、足を進めていった。




































「……来た、か」

 フォルンの長アラードに若い男が耳打ちをすると、アラードはそう呟いた。
 その一言で、集会所はざわついた。

 村の中でも一番大きく作られたこの建物。
 ドームのような丸い天井は、木材をうまく利用して組み立てられている。
 建物全体もやはり丸く、大きな木の円卓を囲い、今回は両の長がそれぞれ向き合えるようにしつらえた。



「お、長……やはり……」

「ノント。若い者に、はやるなと伝えておいただろうな?」

「は、はい」

「イーサ。せめて茶ぐらいは出してやれ」

「か、かしこまりました」

 席についている老いた男ノントと、初老の女イーサはどぎまぎとしながらアラードの男に答える。
 この二人を含め、此処に居る長と六人が、今のフォルンを支えている者らであった。

「そういえば、リードはどうした。来るように言ったはずだが」

「は、言われて見れば……何処にいらしているのでしょうな」

 三人目―――中年の男が辺りを見回し、やはりどぎまぎとしたように答えたとき。



「い、イシュフェルード族代表のご到着でございます……!」



 ばたあんと扉が開かれ、初夏の陽が一気に差し込む。
 そこにまず影を造ったのは、先導役においた男。
 そして、その男が脇に避けた先には―――






「……!」






 先頭に入ってきたのは、いかつい、どこか不機嫌な空気を漂わせる顔をした初老の男―――イシュフェルードの長……アックム=イーシュ。
 護衛が3人ほど散らばって周りにつき、そして次に入ってくる、小さな影。

 巫女だ。

 アックムとアラード。
 二人の長の視線が、アックムが灰色のフードを払いのけた時にぶつかる。



「……ようこそ、いらっしゃった……アックム=イーシュ殿。席に、着いてください」



「……承知した」



 先導役の男が席へ導き、アックムと巫女は指定された席に大人しく座る。護衛がその周りを囲むように立つ。
 護衛はともかく―――まだ、巫女のフードは取り払われないままだった。
 こと、と湯気の上がる香茶の入ったカップがイーサの手によって並べられる。
 それが終わったのを確かめてアラードは、何気ない様に問う。

「そちらの方は……」

 アックムはアラードの視線の先を見て、口を開いた。

「……シルア、良いぞ」

「はい」

 アックムの声に応える、まだ若い、やや高めのよく通る少女の声。
 ざわ、と辺りにまた動揺が走る。

 す、と、白く細い指が、その灰色のフードの裾にかかった時―――



 ばたんっ、と何かが勢い良くまた開く音。
 全員の視線が一気にそちらに向けられる。



「と―――父さん! 遅れて……って、あ。まず」



 はあ、とアラードのため息が聞こえる。

「……リード……席に、着きなさい。早く」

「ご、ごめん……」

 突然、集会所の裏に通じる入り口から入ってきた少年。
 こげ茶の髪に、一際明るく澄んだ緑の瞳が、嫌でもアックムたちの目につく。

 少し顔を赤らめ、父の顔や他の重役の顔を盗み見つつ、父の隣の席につく。
 と、リードは正面に居るフードを被った人物に気付く。

(隣に居るのは……イシュフェルードの長か。じゃあ、正面に居るのは……?)

 白く細い指がフードに掛かったままの姿をまじまじと見る。

(女かな……なんか、白いな……)

 リードがそうして想像していると、アラードが脇で、よく響く声で向こう側に話しかける。

「申し訳ない。妙な邪魔が入ってしまって」

「……問題ない。シルア」

「は、はい」

 その声を初めて聞いたリードは、少し甘い期待を混ぜる。

(わ、若いのか……もしかして、同じぐらいだとか……)

 いかにも青少年らしい期待を、そのフードの下の人物は見事に裏切り―――は、しなかった。むしろ、応えているようだった。






 今度のざわめきは、一瞬で大きくなり一瞬で引いた。






「―――シルア=シャロンと、申します。この度、神託を授かった巫女で御座います」






 凛とした声で、フードを払いのけた先に現れた美少女―――シルア=シャロンは言った。



「……! ……」



 リードは、その神秘さ、美しさに言葉を紡げない。
 流れるような黒髪。透けるような白の肌に、澄んだ青の瞳がこの上なく映えている。
 唇は薄桃で小さく愛らしく、大きい瞳、可愛らしい鼻も実に申し分ない。

 『夜人』―――夜の遣いだという言葉もあながち迷信ではないのだと、リードは思い知らされた。






「……紹介が遅れた。私はフォルンの長、アラード=デイジャー。そして、こっちが―――」

 おもむろに始まる父の言葉。
 どくん、と辺りに緊張が走った。






「私の、息子……リード=デイジャーという」






 辺りの空気が、自分の名を言った途端に急激に緊張で軋む。
 その和やかな陽光が差し込む空間とのギャップに、慌てたリードは辺りを見回そうとして―――すぐ、目の前の少女に留まる。



「……?」



 睨まれている。
 巫女であるシルア=シャロンは、真っ向からリード=デイジャーを見据え―――いや、睨んでいた。

 状況が飲み込めずにいるリードを置いて、アラードは話を進めていく。

「……もう一度、用件をお聞かせ願いたい」

「……いいだろう。最初から、話そう」

アックムは、目の前の男―――アラードを見据えて話し出す。

「我がイシュフェルードの巫女に、今回も神託が降りた。
神託には、真の巫女となるための試練が言い渡される」

「…………」

(な、何なんだよ、この話の流れは……?)

 リードはただ、二人―――両種族の長の顔を見比べるしか無い。その間にも、シルアの瞳は決して彼から逸れようとしない。

「試練の内容は……こうだ。

『フォルンを継ぐ者と出会い、共に月の光を持ち帰れ』―――と」

「……っな!」

 思わずがたん、と席を立ってしまうリード。
 彼の頭に、昨日の父との会話の一部分が思い出される。






―――お前はいずれフォルンを継ぐのだ―――



―――わかった―――






「そ、それって! どう考えても―――」

「リード!!」

 父の叱責に、リードははっとする。

「―――席に着きなさい。まだ、アックム殿の話の途中だ」

「……はい」

 がたた、と混乱しながらも大人しく席に着く。条件反射に近い。
 アックムはそれを見て続けた。

「我々にとって、巫女というのは重要な存在なのだ。貴殿らが、想像にしえないほど。
その試練のためには―――アラード殿、そなたの息子、リード殿の力をお借りしたいのだ」

「だっ―――」

「解りました。いいでしょう―――我が息子を、イシュフェルードの巫女……シルア殿のお力になれるよう、共に行かせましょう」

(誰が―――!!)

 だが、叫べない。
 先程からの少女の視線が、突き刺さってくる。

(なんで! どうしてこんなに敵対しているやつらに、よりにもよって……なんでだよ、父さん!)






 呆然としている彼には誰も構わず、その後、会議は滞りなく進み解散したのだった―――