夜明けの少し前に

第二十四話





 シゼーヌは、ビアス、ルミドと並び中央大陸に古くから存在する王国だ。
 歴代の女王―――シゼーヌを治める者は女と定められているのだ―――は皆尋常ではない魔力を持ち、また常人は持ち合わせぬ力……あらゆるものを察知する能力に長けているという。

 ノジートが道中そういったことを話してくれたが、シルアは余計事が解らなくなった。
 リードは元から理解しようともしちゃいないが。



 シゼーヌ王国の東端、コースタン山を背後にそびえる王城。
 遠くからも白く輝くその城を、国中の人は今も崇める。

 魔術の力を借りたのだろうか、人の背丈を遥か越えた高さの白い門。
 透けるような光沢を持つ石で出来たそれは、神殿のように神々しい。
 シルアは目を細めてそれを眺めた。






「知の女王の住まわす城に、如何なる用か」

 銀よりも軽そうな金属で作られた鎧をまとう門番兵二人が、繊細な装飾の施された銀色の槍を互いに交差させ三人の足を止めた。

 マントで身体を包みフードを目深に被った長身の男―――ノジートはそれに動じる様も無くただ言った。



「―――月の満ちる時が来た」



 ただその一言。
 それだけで、二人の門番兵は明らかに動揺を伝えた。

「―――しかし―――」

「まさか―――」

 リードとシルアは彼らとノジートを交互に見るしか無い。



「女王陛下に会わせろ」

 ノジートが淀みなく言い放つ。
 それに門番兵らは慌てて敬礼まですると、直ちに白の門を開けにかかった。
















































 こつ、こつ……



 石の床に、靴の底がぶつかる音が響く。
 静寂よりも音の無いこの空間に、思わず息までも止めてしまいそうになる。



 三人の耳に、突如衣擦れの音が囁かれる。



「―――ああ……やはり」



 白の大広間の奥から出てきた初老の男。その声は、やや掠れて恍惚としていた。
 その声ですら、この静寂が占める大広間では天井まで高く届く。

 ノジートは、その白髭を蓄え始めた白のローブに身を包む小柄な男を見やった。
 男はそれに声を震わせる。

「まさか、本当に……幻の……」

 そこで言葉を切り、頭を振ると先程よりは毅然とした態度で口を開いた。

「―――ようこそいらっしゃった、旅の方。此処はシゼーヌの光、シレネリア女王陛下のおわすサヴィネイア城」

 緊張を伴う声は、しかし、太古から繰り返されてきたかのようにこの空間に馴染んで響いていた。






「女王陛下の御意志の下、私アンゼルフ=フィノールがご案内しましょう」



















































 両の扉は、軋んだ音一つ立てずに来訪者を迎え入れた。
 そこから広がる視界は、やはり白一色に光り輝いていた。

 足元には、その広い空間にただ一つ走る紺の絨毯。
 金糸で端が飾られているそれが真っ直ぐと向かう先は―――



「―――陛下……お連れ申し上げました」



 アンゼルフは恭しく、深々と礼をした。






「ご苦労であった。側に控えよ」

「は……」






 高潔という言葉が相応しい女の声が、白の石を震わせる。
 アンゼルフが遅くも早くも無く、歩みを進めて辿り着いたその場所は、王座の隣。









「顔を上げよ」









 逆らうことの許されないことが言わずと解る言葉に、跪いていた三人は従う。
 ノジートでさえも、しばし言葉を失った。



 白磁の肌に、金の流れる髪が眩しい。
 美しい形を描く眦(まなじり)、そしてその瞳はやはり金。
 エルフもかくやというその高雅さ。
 だがその丸い耳は、確かに彼女が人間であるのだということを示していた。

 すっ、と毅然と王座から立ち上がり、歩みを2,3歩進めた後。
 美しい、薄い唇が開いた。



「―――月の愛し子らよ」



 朗々と響く。



「我が名は、シレネリア。シゼーヌを治める女王だ」

 三人の顔を順に見つめた後、ノジートに視線は向けられる。



「月が満ちる時は、遂に動き出した」



 シルアの紺の瞳を見据える。

「―――……」

 シルアは緊張よりも、その金の瞳が放つ何かに気圧され喉が動かない。

「光に触れることを許された汝らのすべきこと―――」

 視線を滑らせ、リードの明るい緑の瞳を覗き込む。
 リードも息をつまらせそれを見つめ返した。






「―――“月の光”を、月に返す」






 シルアの胸が、どきりとなる。

 女王は尚も続ける。



「闇の告げた時に従い、光に導かれ汝らは“月の逢瀬”へと向かうだろう」

「……?」

 シルアの持った感情に、女王は気付く。

「“月の逢瀬”―――伝えられし旧き言葉で、ソア=ルーン」

「!」

「ソア=ルーン……!」

 そこでリードははっとして口を閉じて俯く。
 それにシレネリア女王は―――やや眉をしかめ、厳しい光を金の瞳に宿した。

「……闇の子等は、戸惑っている」

「…………」

 ノジートは瞳を閉じてその声に耳を傾ける。

「最も近い光が、手の届く位置にあるとわかり……怯えている」

 声は悲しむようでもあり、また静かな怒りを含んでいるようでもあった。



「フードを取りなさい」



 ぴく、と。
 ノジートの身体が震えた。

 リードもシルアも、この瞬間ばかりは彼から目が離せない。



「……偉大なる師と、その子孫である女王陛下に敬意を払って……」



 ノジートはそう呟き、そのフードを思い切ったように後ろに跳ね除けた。



「―――……!」

 リードとシルアは同時に息を呑んだ。



 艶やかな黒髪はシルアのそれに負けず。
 絶世の美女かと見まごう程の美貌、その切れ長の瞳は紫水晶をはめ込んだかのよう。
 眩く金に輝く女王と対照的に、夜のような美しさを持った青年がそこに居た。

 女王は三人の前で初めてその優雅な微笑を浮かべる。
 跪いて顔を上げる彼の顎を、その白く細い指がすっと掴んだ。

「……瞳まで偽ることは叶わぬか」

「…………」

 ノジートは何も言わず、紫の瞳で金を見上げ続けた。



(偽る? どうして?)

 シルアはその会話の単語を拾いながら様々に考えるが、やはりわからない。



「我には見える……だが、触れることは許されぬ」

 女王は途端に無表情になりすっと指を離すと、身をさっと翻し纏う白い薄布を靡かせて王座の方へと戻る。
 そしてアンゼルフに目配せをする。

「は、ただちに」

 アンゼルフは一礼をした後に、なにやらぶつぶつと呟いたかと思うと―――

 ぱん、と光が彼を包んではじけたかと思えば、彼自身もその場から消え去っていた。









「―――図書館の封鎖の理由だが」

 女王は再び話し始めた。

「先日、不審な者が夜の図書館に侵入を図った。警備に就かせておいた兵が言うには―――」

 ノジートはフードを外したまま女王の口元を見ていた。

「あれは人の子ではない。闇の子―――魔族なる者であったと」

「魔族―――」

 ノジートは少し目を見開いてそれを呟いた。
 シルアとリードはそこで思い当たった。

 今まで自分たちを襲ったのは全て―――その魔族によるものなのでは、と。






「じょ―――女王陛下」



 シルアが突然、震えを隠した声で話し始めた。
 隣にいたリードとノジートは、隠れて驚き息を一瞬止めた。






「その……先日。私達は、不思議な者達に襲われました」

「…………」

 女王は表情を動かさない。ただ、その金の瞳で彼女を見つめ続ける。
 その緊迫に負けぬよう拳を作りながら、声を絞り出す。

「人の形をした影と……大勢の、妖魔に」

「…………」

 リードもごくり、と唾を飲み込む。

「ですが、後から現れた一人の男が、妖魔を全て一掃した後、その影のようなものも去らせたのです」

 段々と話しているうちに、この空間に声が響くことは慣れてきた。

「その男が、ソア=ルーンという単語を言っていたのですが……今、考えますと―――」

「解っている」

「え」

 シルアの言葉は唐突に遮られた。
 リードはこっそりと安堵する。

「闇の子等は、“月の光”を求めているのだ。……触れることが出来ないとは知っていても」

 女王は淡々とそう言った。
 シルアは身体から力が抜けるのを感じた。

「闇の子等はお前達を殺しはしない。ただ、事が進むのを望んでいるだけだ」

「…………」






「―――月の子等よ」

 女王は声音を改めて言った。






「図書館及び資料館の利用……汝らに許そう」

「……!」

 シルアの瞳が希望に輝く。

「―――だが」

 女王はそれを遮るかのように続けた。
 シルアはびく、と身を震わせた。

「課題を与えよう」

 ノジートの唇が強張る。









「ある文書を、アリミドナールまで届けてまいれ」