夜明けの少し前に

第二十三話





 こぉん……こぉん……






 遠く、低く、高く。
 正午を知らせる鐘は、賢者がかつて仰いだ空に響き渡る。

 大魔術師シゼーヌ=ウィエフは、多くの弟子を引き連れ、シュザ山脈を連ねるコースタン山の麓に国を築いた。



―――汝、知を忘ること無かれ。
―――世界の知は、此処に在り。



 師、いや王の言葉は今も尚忘れ去られることは無く、その国の書庫は歴史そのもののように息づき、成長してきた。

 中央大陸―――そして世界で唯一の魔術師達の国、シゼーヌ。
 偉大な師の名を継ぐその国は、高潔たる秩序を持って今も在り続ける。













































 古風でどっしりとした、一種神々しいものも感じられる石造りの建物。
 シゼーヌ国内にはこれと同じような建物があと2つはあるとか聞く。

 広い入り口の上には、こう彫ってある。

『シゼーヌ第一王立図書館』

 この国の誇る、膨大な知の書庫の一つである。



「―――現在、シゼーヌ国内の図書館、それに継ぐ資料館には一般の方の立ち入りが許されておりません」

 魔術師のローブを軽装化したような服を纏った兵の一人が、図書館に入ろうとした二人を遮った。
 二人のうちの一人、黒髪の美少女は紺の瞳をぱちくりさせながら問う。

「えっ……どうしてですか?」

「申し訳御座いません、理由は話さぬようにと申し付けられております」

 それにもう一人のこげ茶の髪の少年が食って掛かる。

「でも、俺達―――」



「シレネリア女王陛下の勅令で御座います、どうかお引取り下さい」



 丁寧というよりは堅いという印象の合う口調が、有無を言わさずそう言い放った。

































「…………」

「…………」

 とぼとぼという表現が相応しい、少年と少女の歩く様。
 少年―――リードはぼそりと呟いた。

「……ここまで来て、これか……」

 少女―――シルアは、ふ、とため息をついた。

「……まさか、入れないなんて……」

 図書館前で兵に門前払いを食らわされた二人。
 有無を言わさない態度に仕方なく引き下がり、今はこうして王都内を彷徨っている。

 シゼーヌの王都ベルラは、華やかとはいえない―――落ち着いた色合いの石で造られた建物、そして歩道が伸びる様はやや厳粛な雰囲気をかもしだしている。
 行き交う人は少なくは無い。気になるのは、その行き交う人の殆どが魔術師のいでたちをしているということだ。
 その中で、シルアはともかくリードの存在は、旅人とは周りから浮いているような気を覚えるのは無理は無い。

 リードは沈んでいるシルアにとりあえず声を掛ける。

「―――どうする? とりあえず宿は取っておくとして」

「ええ……でも、どうしたら……」

 リードの言葉に、シルアは更に表情を沈ませる。
 後はどう声をかけてよいものか、リードは落ち着かない心地になる。

(宿を探すしか無いか)

 結局それに辿り着き、リードは辺りを見回そうとして―――






「おい、そこの二人」

 突如、若い男の声がかかった。






 リードは振り返って、少し警戒心を強めた。

 その男は、やや黄ばんだ白のマントを纏い、顔はフードを目深に被っていて見えない。
 長身で、印象的には細身。黒髪がちらちらと覗くように揺れるが、それ以上はわからない。
 感じることは、纏う空気がどこか常人離れしていることぐらいか。

 初対面のシルアの印象を思い出したが、どう見ても相手は男だ。それを振り払って無愛想に返事をする。

「……誰だよ?」

 シルアも振り返って、その姿に足を止める。



「図書館に入りたいか?」

 男はリードの問いを無視し、そう聞いてきた。



「えっ」

 シルアがそれに少し感情を浮上させる。
 リードはそれにむっとし、やや噛み付くように聞き返した。

「誰だって聞いてるんだ」

 男はそれに気分を害した様子も無く、

「私の名前はノジートだ」

 淡々と答えるので、リードは身体ごと向き直って声を張り上げる。

「名前だけじゃなくて! まさか、俺たちのこと尾けて来たのかよ!」

「私も図書館に入りたいと思っていた。そこでお前達を見つけただけだ」

「……っ」

 相手にそこまで非がないことをつきつけられ、リードは悔しげに言葉を失くす。
 その隣で、シルアが縋るように聞いた。

「あの、何か入れる手立てがあるんですか!?」

 男―――ノジートはそれに、マントから覗く口元をにっと笑みの形に歪める。



「城に行くぞ。女王陛下に直接頼み込むんだ」













































「女王陛下に……一体、どうやって?」



 シルアの最初の問いはこれだった。

 シルアとリード、そしてノジートは通りの内の一つの飲食店に入っていた。
 「話をしたいなら、まずはどこかに落ち着きたいものだ。店はお前たちが選べ」という言葉に従い、リードが無言で入っていった店に二人も続いたのだった。

 自己紹介を終えたというのに、ノジートという人物は未だにそのフードを取らない。
 リードの苛立ちはその所為で収まらないのだ。

 しかも。

「城に、私と一緒に来さえすればいい。女王陛下は気付いてくださるだろう」

「でも、どうして……?」

「大丈夫だ、シゼーヌの女王に出来損ないは居ない」

「出来損ない?」

 シルアはとにかく図書館の閲覧が第一らしく、先程からこの不審極まりない男に立て続けに質問を繰り返す。
 彼女が運ばれてきた飲み物に手を着けていないのを見て、リードはますます不機嫌になった。

 男は続けた。少し混じる手の動作がどことなく優雅だ。

「女王陛下は、私たちにある頼みごとをなさるはずだ。それをクリアすればいい」

「……頼みごと……」

 シルアはそこで、手元にある冷えた香茶に気付く。
 余りお目にかかれない氷を紺の瞳に映しながら呟いた。

「……それを、クリアすれば」

「シルア」

「え?」

 脇を見やれば、リードがむすっとした顔でこちらを見ているのに気付いた。
 ちょっとどきりとしながらシルアは首を傾げる。

「どうしたの?」

「何でこんな奴信用するんだよ」

 リードは本人の前で不機嫌なのを隠さずに言う。
 シルアはそれに戸惑ってちらりとノジートの方を見てから、

「で、でも……他に、手段は無いと思うの」

「まだ探してないだろ」

「当てがないもの」

 少し引け目になりながらも何とかリードを説得しようと試みる。
 だがリードもそれに引き下がる様子は見せない。

「……また盗賊の時みたいに騙されるんじゃ」

「それは無いわ」

「どうして」

「私の勘は当たるの」

 シルアも納得行かないのか、どこかつんと澄ましてリードの拗ねるような態度に応えた。
 ノジートはそのやり取りを見て、とうとうくつくつと笑い出す。
 ある意味心底楽しそうだった。

「……随分仲がいいことだ」

 リードはそれにかっとなり、がたんと席を立ってばんとテーブルに手を叩きつける。

「ふざけるなよ! 大体フードも取りもしないで!」

 すると男は笑うのを止め、フードの下から射抜くような目で目の前の少年を見た。



「すまないな―――私がこの国でフードを取るのは、女王陛下の御前だけだ」


「……なんだよそれ……」

 先程とは違う重みのある声に、リードは勢いを減じて、不本意ながらも椅子にまた座る。
 シルアはそれにはらはらとしていたが、やがて恐る恐るリードに言った。

「……リード、お願い。頼れるものは頼りたいの」

「…………」

 大きな紺の瞳は、じっとリードを見つめる。
 リードは卑怯者、と心のどこかで罵りつつ、

「……わかったよ」

 吐き捨てるように答えた。
 ノジートがまた笑いをこらえているのに、二人は気付かなかった。