夜明けの少し前に 第二十ニ話 現実は、嫌というほどに目に焼きついた。 陽光が差し込んで明るいというのに―――そこにあるのは、人型の長身の“影”。 陽光ですら避けているというように、それは闇が塗りたくられたような漆黒だった。 『久しぶりだな』 耳障り。不快。 耳を塞ぎたくても塞げない程の緊張に、二人はただその影を睨み返す。 『挨拶も無しか』 影はそう言って、腕を無造作に高く挙げた。 さっと二人の緊張が高まり、リードは何とか剣の柄に手をやる。 「―――!」 二人の表情が驚きと絶望に染まる。 何処からとも無く現れた、大小様々ないくつもの影が二人を囲んだ。 明らかに人ならざるモノ達に囲まれた少年と少女の姿を、影はただ見ていた。 『―――さあ、倒してみろ』 「なっ……」 リードが声を上げ、周りを見る。 どれを見ても、それは全て闇。 動物のようなシルエットが一番多いが、中には丸くてふよふよしたよくわからないものや、何かの結晶のような多面体の形をとっているものもある。 得体の知れない、という恐怖そのものに、リードはぶるっと震え上がった。 こいつらは知っている。倒したことはある。 だが、これだけの数を二人で倒すなんて―――! 『どうした』 長身の影は追い詰めるように問う。 『月の巫女よ、貴様の力はその程度のものか?』 「―――っ……」 (月の巫女? だから私はそんなもの、知らない) シルアはそう言おうとしたが、口はただ悔しげに歪むだけだった。 『……わからんな』 長身の影は、彼らに歩み寄っていく。 リードはシルアを庇うように前に出て身構えた。 剣は既に抜かれている。 ひた、と影は二人とやや間を置いて立ち止まった。 リードはその緊張をやり過ごそうと剣の柄を握りなおす。 影は言った。 『月の光を受け取ったのだろう―――何故、そのように非力なのだ?』 「……?」 シルアはただ訳のわからないという顔をするばかり。 『それとも、気付かねば力とはならないのか』 影は独り言のように続ける。 実際、そのようなものだった。二人はまるで何を言っているかわからないのだから。 『―――これでは手の出しようが―――』 影が、諦めのような感情を言葉に含ませた時だった。 ―――ざぁっ。 砂が風に砕け散るような音――― 「―――!?」 突如、周りに立ち込める“負”の空気と共に大量に居た影たちが姿を消した。 『―――!』 影は声も無く驚き、そしてある一点を見据えた。 シルアはそれに気付き、恐る恐るその視線の先を追って―――振り返る。 一人の男が、そこに立っていた。 黒の癖のある髪が腰ほどまで長く伸ばされ、それは身に纏う漆黒の服と同化しているように思える。 端整な顔立ちではあると思うが、その顔色の悪さ、不気味な瞳の輝き、何より彼自身が纏う空気がどことなく不吉であった。 どこから現れたのか。 その異様な雰囲気は、単に後を追いかけてきたというようなものとは思えなかった。 「―――何をしている」 それは努めて人間の出す声と同じだった。 やや低めの声が熱も無く発せられる。 『…………』 影は黙り込んだ。 「“影”まで創り上げ、人間二人を相手に、何をしている」 『…………』 影は何も言わない。 だがその沈黙は、僅かに焦りのようなものを伝えてきていた。 黒髪の男は、音も無く2、3歩足を進めた。 「……事は、お前が思っているようには進まない。お前が何をしようとだ」 『―――“闇の微笑”は何を考えている?』 影はとうとう口を開いた。 男はその言葉にぴくりと眉を動かす。が、何も言わない。 『“あの夜”以来、あいつは尚更わからなくなった』 「元からそうだ」 『あいつの言う通りにしておけば、全てはわかるというのか?』 「それはわからない」 男は短く淀みなく答える。 影はそれに苛ついたように舌打ちを一つする。 「―――いい加減にしておけ。“闇の微笑”はお前が何も知らないからこそ、こうしてお前の存在を残しておいているのだ」 男はやや声を張り上げてそう言い放った。 「今ならまだ選べる。関わらないか。我らに協力するか」 『…………』 影は今度は動揺を周りの空気に伝えている。 「選べ。まだ力も無いお前が中途半端にやっていけると思うな」 男は追い詰めていく。 「―――!」 二人の目の前で、影はいきなりその姿をかき消した。 「……馬鹿が」 男は吐き捨てるようにそう言った。 そしてやっと、二人に視線を移す。 「……っ」 シルアは今までに無い圧迫感に怯えた。 先程の影のものとは比べ物にならない、もっと間近にあるような感覚。 男はしばし彼らを交互に見つめ、そして最後にシルアを見ながら。 「―――ソア=ルーン。全てはそこにある」 ソア=ルーン。 聞いたことも無いその名に、二人はただ戸惑う。 男はそれに失望も何の感情も見せず―――そのまま姿を消したのだった。 「……もう、居ないよな」 「……ええ」 リードのまだ緊張が残る言葉に、シルアも同じように応える。 しばし二人はしばし一言も発さず――― 「―――だぁっ! 何なんだよ、一体!」 リードはそう叫んだ後、身体中から力を抜けるのを感じた。 シルアも、ほう、と息を深く吐く。 「……あの人たち、人間なのかしら」 シルアは思っていたことを口に出してみる。 リードも同じ事を考えていたようで、うーん、と唸ってから、 「あんなのが人間だったら―――世界は滅亡するぜ」 と自分で言いつつ、うんうんと頷いている。 その緊張感の無い答えに、シルアもちょっと肩の力が抜ける。 リードはいつの間にか歩き出していて、シルアはそれを追いかけた。 「ソア=ルーン……」 シルアは歩きながらぽつりと呟く。 「……さっき、言ってたやつか」 「シゼーヌに行けば、わかるかしら」 「行ってみなきゃわからないな……」 リードは枝の伸びる空を見上げて嘆息する。 シルアは、自分の歩く地面を見ていた。 元から何の手がかりも無い旅だった。 でもまさか、こんなに危険溢れるものとは―――思っても居なかった。 これから先、果たして私は巫女としての試練を果たすことが出来るのだろうか…… 「…………」 考えてもわからない。 シルアはそう思い、とにかくこの歩みを止めないようにした。 |