夜明けの少し前に

第二十一話





 ルミドの空は、いつもご機嫌。



 その抜けるような青に、リードは目を細めた。
 フォルンもきっと同じ空の下だと思っていたが、こんな青は多分初めて感じた。
 隣に居る美少女の瞳とも、快活な美女の髪とも違うその色は嫌いではなかった。






「それじゃあ、ここでお別れね」

 青い髪の美女―――マリナは名残惜しげに微笑んだ。

 彼らが今立っているのは、街道の分岐点。
 やや古びた案内板は、今の光景と同じものを数え切れないほど見てきた。

「また会えることを願っているわ」

「はい、また会いたいです」

 シルアも寂しそうに微笑んでそう答えた。
 リードも何となく、複雑そうな顔をしている。

「マリナさんの探している人が見つかりますように」

「ありがとう―――あなた達が立派になることを願っているわ。
シルア、貴女は絶対巫女になれるわ。頑張って」

「はい」

「リード君、ちゃんとシルアちゃんのこと護れるようにね」

「はい、努力します」

 照れ臭いのでちょっと投げやりに言ってみた。

「心が篭ってないわねぇ……」

「わかった。絶対」

「それでよし」

 マリナが詰め寄ると、リードはちょっと微笑んで降参したように訂正した。
 隣でシルアが微かに頬を赤くしているのに、リードは気付かない。



「―――さ、キリが無いわね。私は行くわ」

 マリナは肩に提げている荷物を再び提げ直し、街道の3つの分岐点のうち、北―――テードルへと向かう道を少し進み、また振り返った。

「それじゃあね!」

 最初に出会ったときよりも、眩しいくらいの笑顔で手を振ってくるマリナ。
 シルアとリードも手を振り返した。

「さようならー!」

 シルアが普段はちょっと出さない音量でそう告げた。
 リードはしばらく手を振っていたが、やがて下げて。






 少し、風がそよぐ。
 やや暑いようなこの気候ではそれが何より心地よい。






「―――じゃ、行くか」

「ええ」

 二人は東、シゼーヌへと向かう道を歩み始めた。
 並んで歩きながら、リードはふと思い出す。

「そういやさ」

「え?」

「……その、昨夜のアレ。何貰ったんだ?」

「あ……えっと」

 するとシルアはごそごそと胸元を探り始める。
 そして細い指が捉えていたのは、繊細な銀の鎖。

「!」

 最後に出てきた無色透明の石に、リードは目を見張る。

「これ……ペンダント。綺麗でしょう?」

「…………」

 途端にリードは妙に不機嫌そうな顔をして黙り込む。
 シルアは不思議に思って彼の顔を覗き込んだ。

「どうしたの?」

「あー」

(何なんだあの人は)

 リードは胸のうちでぶつぶつと文句を言う。
 彼は気まずげに、ズボンのポケットに入れていた手をもぞもぞとさせる。

 指に当たる感触は、さらさらとした金属の感触―――



 つまり。



「リードは何を貰ったの?」

 何も知らない紺の瞳は、いつものように澄んで輝いている。
 リードは尚更言いにくくなって、つい。

「何でもない」

「え!?」

 シルアは訳がわからず驚く。

「その、別に大したものじゃ―――」

「でも、マリナさんがくれたものよ」

 ちょっとむっとした口調のシルアにリードはたらりと汗を流す。

「いや、そういう意味じゃなくて」

(だー! 何で、何でよりによって!)

「……私には見せられないものなの?」

「う……」

 うん、そうだとも言えず、かといって見せたくは無い。

 リードがそうして葛藤しているうちにも何故か歩みは進み、景色は緑が濃くなっていく。
 絶えず降り注いでいた陽光は緑を透かしてまだらに模様を作り、二人の肌にも落としていた。



「その、つまり」

「―――もしかして、そこのポケットに入ってる?」

「…………」

 シルアから見えない方のポケットに手を入れていたのだが、彼女は目ざとく見つけてしまった。
 思わず反射的にぱっと手を抜くが、それではっとして更に気まずくなる。

「…………」

「…………」

 とうとう足が止まる。
 リードの渋り方が気に入らなかったのか、シルアも引き下がってはくれない。

「……どうしても駄目なの?」

「うっ……」

 今度は少し憂いを帯びた瞳で問いかける。
 リードは傍目にもわかるほどたじろいでいた。

 先程までポケットに入れていた手が汗を握っている。
 心のどこかで、最初から見せていればよかったのにと何かが訴えていた。
 それは聞かないようにして、ただただ硬直する。

「もう、大体そっちが―――」

 シルアがそう言いかけて、急に言葉を切った。

「?」

 リードが訝しく思う間にも、シルアは緊張したような、そして怯えが感じられる表情で辺りを見回していた。
 何の変哲も無い、明るい森。木々も草花も豊かに生い茂る。

 そしてリードも気付いた。

―――鳥と虫の声が、無くなっていることに。






「……これ、って……」

 つ、と汗がシルアの背筋を滑り降りた。






「船、の……?」

 リードの額に汗が滲む。






 辺りを充分に見回して、そして再び前を向いた時。
 予感は、現実となった。