夜明けの少し前に 第十七話 『待テ』 呼ばれる。 足を止める。 いつもなら、こんな言葉を交わすことはない。 何故って、今までにそんな高等な技能をもったやつがいなかったからだ。 す、と振り返る。 視界の上に入るマントの端の向こう―――そこに、自分を呼び止めたモノは居る。 『オ前、持ッテイルナ』 勿論ながら、その耳障りな響きは生き物によるものではない。 闇の中から現れる様々な影。だがそれは、その正体を知ってしまえば少なくとも自分には脅威どころか遊びにも足らない。 「……奪ってみろ」 挑発。 いつもは鼻と目で―――だが今回は相手のやや高等な技能に免じて口に出してやることにした。 影は一斉に、殺気とも憎悪とも欲望ともつかぬ“負”の感情を辺りに撒き散らす。 それは膨れ上がり、辺り一帯を支配し、やがて――― 「其は天なり―――≪エーヌ≫」 断末魔すら響かぬ、静寂という名の破滅。 ―――夜にあそこを歩くのかい? やめておけ、旦那。 いいんだ。 ―――最近はどこも物騒でね。また化け物だの魔族だのが暴れてるんさ。 知っている。 ―――ま、私は止めましたよ。後はお好きになさってくだせえ。 どうも。 再び歩みを進めながら思い出す、宿の主人の忠告のようなもの。 ふ、と苦笑じみた笑みを浮かべ彼は歩く。 わかっている。 だから、こうして夜を選んだ。 いいじゃないか。 あいつらは自分によってくる。自分はそれを一掃する。 お陰で被害者が少なくなる。 我ながら、慈善的だと思うよ。 この有り余る力。生かせるときに生かしておきたい。 ―――出来ることなら、君を護りたかった――― だけど、君は強いから。 そして、自分は弱いから。 「……月が、欠ける」 立ち止まり、空を見上げる。 闇に限りなく近い紺の空に落ち着かないほどに瞬く多量の星々。 それを取り巻くかのように浮かぶ、楕円のような月。 紫の瞳に映るそれは、さながら彼そのもの。 濡れたように艶やかな黒髪は、真実を含んで煌いた。 「―――見ているだけ、とはな」 嘆息と共に吐き出された言葉は、真夜中の静寂を僅かに震わせる。 「仕様が無いだろう。我らには扱う術を与えられていない」 どこか無気力な口調で、答えが返ってくる。 それに、ちっと一つ舌打ちをしてまた話し出す。 「唯一の手段も、あの巫女の所為でどうなることか―――」 「無理を言うな。あれはまだ、15の人間の娘だ」 「15は成人だろう?」 「だが子供だ」 「……わからん」 それは、口癖。理解を放棄する、短い一言。それきり黙りこむ。 「―――何故、人間なのだろうな」 さほど関心も無いようなその物言いが、その一言に続いた。 「脆弱で短命、無知……エルフよりは見ていて飽きないが」 「……エルフは長い寿命を持ちすぎた」 「ほう」 「数百年も生きて、あいつらはその生で何を得る? 知識か? 魔力か? ―――ゆっくりと老いていく身体を持て余しているようにしか俺には見えない」 「生ある者の“知”の象徴である種族なのだよ。それが人間と同じ早さで死に行くのでは意味が無い」 「では、俺達は?」 ややせっつくような問い。 しばし間が空き、返事は来た。 「―――考えたところで、我らの存在は無くなりはしない」 「そうじゃない」 「では何故そう思う? この世界を生み出した主の真意を測り、何を得るのだ、お前は」 「…………」 「彼らは光を与えられた。我らは闇を与えられた。その事実にしか過ぎないのだ」 「……月……」 「?」 夜空に浮かぶ、これから欠けてゆく月を仰ぐ。 白い肌が照らされるが、それはどこまでも冷たい。 「月の光ですら、俺達を受け入れはしない」 「……光、だからだ」 「あれは夜の主ではないのか」 「夜はいずれ朝に座を譲る。闇はただ―――」 「ただ?」 「“そこにある”のだ」 「……そこに、か。では……」 俺達は、と続けようとして留まった。 これでは堂々巡りだ。 それを察したような言葉が来る。 「考えるな」 語気を強くして。 「我らの真実は、この不透明な欲望。それだけだ」 つまらないものでも吐き捨てるように、そう言った。 |