夜明けの少し前に

第十四話





 夢を見た。

 闇が広がる―――そしてその真ん中に、自分は一人。



 遠くに、光が見えた。



 それは、本当に遠いと思った。歩いても、走っても、その許に辿り着くのは不可能だと知っていた。

  “あれ”は、自分のものではないのだ。



 でも、自分はそれに触れられる。それも、知っている。

 それを受け取る事が出来ることも、知っている。



 誰。誰が、持っているの―――



 白い、そして金に輝く光は、まだ、遠くに―――












「―――……」

 シルアは、波に揺れる客室の中で目覚めた。
 たぷ、ちゃぷ、という船体にぶつかる波の音が耳慣れないせいだろうか。

(夢。……何だったんだろう……?)

 今まで見たことの無い、そして限りなく暗示的な夢。
 むく、と身体を起こして初めて部屋の異変に気づく。

「……マリナさん?」

 そういえば客室から出ていた間は一度も見なかった、とシルアは思い出す。
 彼女の寝ているベッドは、もぬけの殻だった。

 何となく目が覚めてしまったシルアは、ベッドから降りた。






















































 ざああ……



 波の音は、夜も絶えることはない。
 シルアはこっそりと魔術で光球を出し、夜の甲板へと出てみることにした。

 ぎしぎしという木の階段をゆっくりと上っていくと、やがて上に四角に切り取られた夜空が見えてくる。
 階段の出口にある手すりに手をかけ、やっと見えてきた甲板全体。
 夜の月と星明りに浮かび上がる木の床、そしてその向こうを目で辿って―――

「―――……」

 誰かが、居る。
 手すりにもたれかかり、海を眺めている。

 歩みを進め階段から離れていく。
 すると気配に気付いたのか、その影が彼女の方を向く。



「あら―――シルアちゃん?」

 それはマリナの声だった。
 シルアが光球を漂わせながら近づいていくと、マリナはそれをしげしげと眺め、感心したように言う。魔術は素養が無いと使えず、魔力の少ない者は普段からそうした明かり程度のものも余り持続時間が無く使えないのだ。

「さすが、巫女ねえ。―――どうしたの? 眠れない?」

「あ、はい……ちょっと、目が覚めてしまって」

「緊張してるのかもね。せっかくだから、海を眺めましょうよ」

 くすりと笑った後、また海の方へと顔を向ける。
 シルアは何となく、光球を消して同じく海を眺めた。

 月光をきらきらと水面に受ける海は、昼とはまた別人であった。
 あの濃い青の面影もないそれに、闇がそのまま水に溶け込んだかのような錯覚を覚える。



「―――ごめんね」

 マリナの口からいきなりでた言葉は、謝罪のものだった。

「えっ?」

 シルアは何のことかわからずただ不思議そうな顔をする。
 するとマリナはふっと哀しげな笑みを浮かべ話し出す。

「旅の理由の、話。変に思ったでしょう」

「あ……」

 そう言われてシルアはあの夕食の時を思い出す。
 硬い声。そそくさと席を立つ、申し訳なさそうな、そして苦しい笑顔……

「もう1年近く、探しているのにね。いい加減慣れたっていいものだわ」

「……誰を、探しているんですか……?」

 思わず誰、と聞いてしまったのは、今日のマリナの態度からしても無理の無いことだ。
 マリナは息を吸って、吐いて……話し出す。

「……不思議なくらい、綺麗な人。今思うと、何で私なんかと恋人同士だったのかわからないくらいに、綺麗な人だったの」

「…………」

 恋人。綺麗な人。
 余りに切ないその響きに、シルアは何も言えない。

「最初は、何も言わないで彼を送り出そうと思ったの。でも……だめ、ね。
送り出したのは良いけれど、その後の毎日が、物足りないなんてものじゃない―――殆どが私から抜け落ちたような感じだった」

 ざあ…という波の音が、二人を包むように響く。

「だから今、こうしてあの人を探している。まだ会って何を言うかは全然考えてないのだけれど」

 ふふ、と笑ってこちらを見るマリナに、シルアもどこか悲しげな笑みを返す。






 潮騒が耳慣れてきて、しばらくはその静かな波の寄せる様を眺めていた。






「……私と、リードの種族は対立しているんです」

「……対立……」

 シルアの唐突な言葉に、今度はマリナが驚く番だった。
 シルアは続ける。

「でも、私に降りた最初の神託は、フォルンを継ぐ人と旅をしろというもので。
背に腹は変えられない、という感じで、今もこうして旅をしています」

「そう、だったの……」

「……私も、リードもその対立を忘れたわけじゃないです。でもこのまま二人でいがみあうのは哀しいから。寂しいから……」

 途中の、まだ短い旅路を思い出しながらシルアは話し続ける。

「対立が起こったのは、ずっと昔のことなんです。今の対立というのは、その確執だけが残っているみたいなもので。……皆、どこかで疑問を感じていても止められない」

「…………」

「もちろん、その確執を妄信的に受け取って過ごす人もいます。だから、また何かきっかけがあれば、また、戦いみたいなものが起きるのかもしれません」

「……難しいわね。それで亡くなった人がいるなら―――なおさら、和解は遠くなるに決まってる。それが、種族間のものでも、国家間のものでも」

 マリナは嘆息して今度は夜空を見上げる。
 散らばる星達の一つ一つが、自然と命の輝きのように思えてくる。

「失くしたものは戻ってこない……ってこと、わかってても、だめよね」

「……皆が皆、強い人とは限らないですから」

 15歳の少女は、寂しげにそう言った。
 するとマリナはシルアを見て言う。

「―――でも、あなた達は強いわ。対立がいけないと知っている。そして、近づこうとしている。……それに」

「……?」

 にこっ、とマリナはいつもの彼女のように、生き生きとした笑顔を浮かべて。



「あなた達は、若いのよ?」



 シルアは何度か聞いたその台詞に思わずふきだしてしまう。
 そのまま女二人、くすくすと笑いあった。
























―――ぺたん。






「……?」

 マリナはその妙な音に辺りを見回す。
 一方シルアは聞こえなかったのか、波が船にぶつかる音だと思ったのか不思議そうにマリナを見る。

「……シルア、気を付けて」

「え―――」

「船乗りのおにーさんたちも話してたけど……海から、お客さんだわ」

「お客……さん……?」

 マリナの緊張した面持ちと声。
 シルアはそれにつられて身を硬くしながら、船長の話を思いだす。



―――ここらへんは、最近魔物がよく出るんだ。



 ぺた……ぱた。

 濡れた何かが、床を叩く音。それが幾つも重なってくる。
 シルアもそれを聞いて、確信を抱いた。



 一瞬、横できらりと光ったそれに目を細めて、よく見るとそれはマリナが手に持った小剣だった。
 ぞくりとする。この人はやはり、戦士なのだ。



「……シルアちゃん、一瞬でいいから、すごく眩しい光とか、出せるかしら」

「え、あ、はい! 出せると思います」

 小声に、びくっとしながらもひそひそと答える。

「私が出してと言ったら、階段の方に向かって出してくれない?」

「わかりました」

 そういってぷつぷつと何か唱え始めるシルアを横目に、マリナは姿勢を戦いの中におけるそれに変える。
 両手のひらに小剣を張り付かせるように忍ばせ、闇の中に蠢く影を見つめる。









「―――出して!」

「はいっ……≪ブライト≫!」






 ぱうっ……!



 ひぎゃあ、とかぎゅうっ、という何かの動物のような声が聞こえる。
 その目を灼く光にたじ、と退いたのは異形のもの。

 シルアはごくり、と息を呑んだ。

 それは、船長が話していた通り―――半分魚、半分人。
 手や足のような部分、そして二足歩行という点では人と共通の部分なのだが、そのぬらついて光を返す鱗とひれ―――



 だがそれをまじまじと見ることもなく、たちまち脇から放たれた鋭い銀光が突き刺さり、それらはもがき始める。  しゅ、とまた2本ほど投げた後―――



「うおわっ!?」



「―――リード!?」

 シルアは思わず声を上げてしまう。

「リード君!?」

 マリナも驚いて思わず手を止める。



 姿は見えないが―――
 そう、それは紛れもなくリードの声だった。