夜明けの少し前に 第十一話 町を一つ越えて、辿り着く。 アノール大陸の入り口、港町ヘルゼ。 入ってすぐに、認識できたことは――― 「何だこれ!? こんなに人が一杯いるの、初めてだ……!!」 「ちょ、ぶつかって、きゃ」 「だ、大丈夫かシルア! わ、押すなよっ」 人の多さ。 いや、こことてこれから向かう中央大陸の最大の港を持つルミド王国の賑やかさには劣るのだが、それ以前に小さな集落のような規模の里で暮らしてきた二人にとってこの人の多さは驚きを超えて脅威であった。 もう次は船旅。中央大陸へ向かうのだ。 その為、休むために宿を取ろうと少し大きい通りに入ったリードとシルアの二人だったのだが、日の出ているうちは賑わいを衰えさせないこの大通りで悪戦苦闘していたのだ。 リードは見知らぬ人と肩をぶつけてよろめきかけたシルアの手を握り、何とか引っ張るように支える。 「平気か?」 手を握ったということに多少どぎまぎしながらもリードはシルアに声を掛ける。 「え、ええ……ありが、とう」 「いいけど」 何とか自分でちゃんと立ったシルアは少し頬を赤くして礼を言う。 そして、手がまだつながれていることに気付かないまま辺りを何とか見回す。 「宿屋、どこなのかしら……」 心配そうな声音も、行き交う人々の喧騒と石畳を叩く靴の音にかき消される。 リードはそれよりもその白い手から伝わる体温に、何故か緊張してしまう――― 突然、二人に大きな影が落ちる。 「おう、なぁに道の真ん中で立ち尽くしてるんだよぉ」 いつの間にか、二人の前に3人ぐらいの男がいて、二人を面白がるように見下ろしている。特にシルアに対しては、よからぬ色の視線も集中している。 少し怯えた顔をして、シルアはたたっと思わずリードのほうに走り寄る。 「しかも、手なんか繋いじゃって」 「可愛いねぇ。恋人同士かい?」 へへ、とか、ひひ、という下品な笑いを交えながら話しかけてくる3人の男。 皆、やけに図体のでかい、そしてろくに自分の身の世話もしていないのかどこか汗臭く脂ぎった男達―――いわゆるごろつきというやつなのだが、二人にしてみればそれもまた初めて見るものであった。 むっ、とリードは顔をかっと赤くして、その繋がれていた手をぱっと離す。 少し未練も残ったが、それを頭のどこかに追いやって、シルアを庇うように男たちの前にずい、と出る。シルアは思わず後ずさる。 男達は一瞬目を見張るが、それも一瞬のことでまた笑い出した。 シルアもそれに眉を吊り上げる。 「はは、怒ったのか?」 「やめとけ、坊主はまだちっちゃいからなぁ、へへへ」 坊主。まだちっちゃい。 前にもこんな風に馬鹿にされたような――― 「それともお使いかぁ? ご苦労なこった!!」 どわはは、と男達の間で起こる馬鹿笑い。 その言葉でリードは何かがぷっつんと切れる。 「お……」 「お?」 ふるふると肩が、拳が、声と同じく震えているのがシルアにはわかった。 そして次の瞬間。 「お、れ、は! もう15なんだよおっ―――!!」 「おおおっ!!?」 その叫びは大通りにやけに響いた。 ざわわ、と大通りの、そこの周りだけが妙に騒がしくなる。 ―――何かしら。 宿を取って少し買い物でもしようかと歩いていたら、この騒ぎ。 人ごみの間を縫って、その様子を野次馬達の肩越しに見る。 どさあっ! その時目に入ったのは、ちょうど小柄な少年が、熊のような体格の男をいとも簡単に体術だけでいなしてしまった光景だった。 完全に相手の隙をついて、足払いをうまくかけた後に救い上げるように自分の後ろに投げる。少年の体格にも無理のない、うまい身体捌きだった。 「て、てっめえ! ガキだからって容赦しねえぞ!?」 「そうだ、このチビ!!」 男達は口々に彼を罵倒して掴みかかろうとするが――― 「だからっ!!」 「ぎゃっ」 ごす、と彼の伸び上がるように動いた肘が二人の男のうちの一人の顎に気持ち良いくらいに命中する。 「俺はっ!!」 「いだぁっ!?」 残った一人が掴みかかってくるのをさっとかわし、相手が前のめりになったところを膝でこめかみに一発。 どさ、と巨体が倒れこんだ後、ふとその後ろの人物に注目する。 ―――あら…… その少年が護っているらしい、黒髪の綺麗な少女。 はらはらと、そして驚きの表情でその乱闘を見ているが、問題は少年も気付かないその後ろに居る――― 「くぉのぉぉ、なめんなぁ―――!」 先程投げ飛ばされた男が復活して、なんと懐から小剣を取り出した。が――― キィィイン! それは鮮やかなくらいに少年の高々と蹴り上げた足によって男の手を離れ、真上に飛んでいく。 「なっ!」 太陽に煌きながら空中に舞う短剣を見上げたその隙を突いて、少年は先程蹴り上げた足をそのまま男の大きな胸にたし、と踏むように押し付け――― 「ガキじゃ、ねええぇぇっっ!!」 そのままもう片方の足―――いや、硬い靴の裏を男の顔面に見事にめりこませた。 おおおおおお…… ぐらり、と倒れる男の身体。 死屍累々、というには大げさではあるが図体のでかい男が三人に増えて転がる中、軽やかに着地した少年の姿は実に小気味よいほど決まっていた――― かしゃんっ。 「いっ」 と思えば、先程蹴り上げた小剣が少年の鼻の先にを過ぎて真っ直ぐに地面に落ちた。 だが、野次馬達は何か別のことに騒ぎ始める。 「―――ひ、ひぃっ、も、もうしませんから、離してぇ……」 情けなく懇願する男の声。 周りの様子と、突如聞こえてきた声に振り返ったリードが目を見張ったのは、無事であるシルアの後ろの光景。 いつのまにか野次馬達の視線もそれに釘付けである。 「あら、本当かしら。男の言うことは信用できないもの」 「そ、そんなこと……うあぁ、切れる、切れる!」 泣きながら慌てふためくやせ細った男の喉元に輝くのは、一振りの短剣。 それを男の背後から羽交い絞めするように突きつけているのは、何と―――女性だった。 美女、という形容が相応しいその女性は本当に生き生きとして美しかった。 20代前半か。鮮やかな、海を称える青の髪を短くし、その焼けることを知らないような白い肌に映える髪と同じ青の瞳は今は男を面白がるように見ている。服装からして、戦士のようだ。 背はやや高めなようで、そのやせ細っても平均以上の背はある男を戒めるのには然程は苦労していないようだった。 「少しぐらい切れたって死ぬことは無いわ。少しなら、ね」 「ひっ!?」 その女戦士の含みのある言葉に男は更に身を震わせる。 と、そこで突然短剣は離され、戒めていた腕を戻す。それと一瞬間を置いて、男は避けようとする野次馬を掻き分け狂ったように裏路地の方へと逃げていった。 「情けないわね」 ふう、と呆れて息をつくその表情もまた男をそそるものがあった。腰のベルトに下がっている鞘に短剣をチン、と戻す。 実際、今度はリードよりそちらの方に視線が集まっている。―――その鍛え上げられているであろう見事な肢体も一役買っていたが。 そしてぱっと表情を明るくして、シルアのほうへと向き直った。 「あなた、大丈夫だった? ここは色んな人が集まるから、あまり安全じゃないのよ」 「は、はい」 シルアは少し怯えたような表情をしたが、女戦士の責めるのではないその快活な口調と華やかな笑顔にすぐに表情を安堵のものに変える。 リードはシルアが無事なことにまずほっとして、それから女戦士のほうをぼうっと見ていた。 すると、女戦士はそれに気付いたからなのか、今度はリードのほうをぱっと見る。 見とれてしまいそうなほどに魅力的な笑顔を浮かべ、その女戦士は言ったのだった。 「見事な身体さばきだったわ。でも、護っている子を忘れちゃだめよ?」 どこか楽しげな響きで、呆けているリードにそう言ったのだった。 野次馬が一人、二人と散っていく中、駆けつけた官憲が転がって気絶していた3人を引きずっていった。 リードがシルアの元へ駆け寄る。 「わ、悪い、つい……大丈夫か?」 「え、ええ。助けてもらったから。えっと……」 そう言ってシルアは、そこでまだ微笑んでいる女戦士の方を見る。 女戦士はああ、と二人に少し歩み寄り、すっと左手を差し出す。 「ごめんなさいね、放っておけなかったの。私はマリナ。マリナ=アンフィネよ」 そう自己紹介し、その微笑みを親しみのある笑顔に変える。 シルアが先に、その差し出された左手をとった。 「どうもありがとうございます。私はシルア=シャロンといいます」 「無事でよかったわ、シルアちゃん」 そして、シルアと手を離すと今度はリードにその左手を差し出す。 リードは一瞬ぼけっとしてしまったが、次にははっとして、表情を引き締めて左手を差し出す。 「俺からも、礼を言います。俺の名前はリード=デイジャーです」 「いいえ、私こそ良い物見せてもらったわ、リードくん」 少し大きい、だが女らしい柔らかさや細さを持った薄めの皮手袋に包まれた手。 あまり女性に免疫の無いリードはやはりそれにどぎまぎしたが、それは悟られまいと懸命に努力した。 手を離すと、マリナから話し出す。 「あなた達、旅をしているの?」 「あ……えっと、これから、中央大陸へ」 リードが答える。 「もしかして、今日にも船に乗るのかしら?」 「いえ、これから宿を取ろうと思ってたんです……」 シルアが言う。 するとマリナは何か思いついたような表情をする。 「これから取るの? なら、私と同じ宿に泊まらないかしら? まだ部屋は空いていたし、料金もちゃんと相場どおりよ」 「ほんとか!?」 「えっ、でも」 期待に顔を輝かせるリードに、遠慮を見せるシルア。 マリナは微笑んで答える。 「この人ごみじゃ、あなた達、また何か起こしそうだもの。さあ、行きましょうか。案内するから、ついてきてね?」 そう言って二人の顔を見た後、大通りを進み始める。 リードとシルアは一瞬顔を見合わせて、それからマリナの後姿を追うのだった。 |