闇がくれたもの

第三話





「な、なあ、サレディ!」

「はい、なんでしょう?」

 少女のいた部屋を出た後、タキニアスは前を行くサレディに声を掛けた。
 前を行く、ゆっくりとした足取りを止めずに緩くまとめた茶の長髪を揺らす後姿を見て少し躊躇うが、次の瞬間には思い切って顔を上げて言った。



「あ―――あの子……俺のこと、知ってるみたいなんだ」



 最初は言うのもやめようかと思った。
 だが、変な誤解を防ぐのと―――何より、その喜びを少しでも伝えたかった。

「――――」

 一瞬の沈黙。
 そして振り返ったサレディは、やはりいつものように微笑んだまま言う。

「―――良かったじゃないですか、では迎えに来たというのも本当だったんですね」

「……うん」

 タキニアスは少し、寂しそうな表情をした。
 サレディは穏やかな表情を変えずに話し続ける。タキニアスはそこに僅かな変化が無いかとただ見ているばかり。

「でも、今は余り性急に聞いてはいけませんよ。まだ完全に体調が回復していないかもしれませんから」

 やはりいつものように、諭すように言うサレディ。
 タキニアスは、何かを期待するような、そんな目で少しの間サレディを見て。



「……わかった」

 心なしか沈んだ声で、そう答えたのだった。






















































 サレディは、そのまま自室に戻った。
 彼の部屋のカーテンは閉じられたままで、隙間から僅かに陽光が差し込むのみ。
 従って部屋は暗く、かろうじて家具の陰形が浮かび上がる程度しか見えない。

 だが彼は構うことなくそのまま部屋に入り、そして、壁の脇にある小机に歩み寄る。

 その小机の上には、紺のやや厚めのビロードの布が掛けられたものが置いてあった。
 それをさっと取り払い、ぱさ、とその勢いのまま布を絨毯の床に落とす。

 出てきたのは、大人の拳ほどの、……無色透明の水晶球。

 それは先程取り払った布と同じ布で出来たクッションの中心に座し、僅かに差し込む陽光とその部屋の様を丸い傷一つない表面に映していた。
 彼は小机の両端に両手をついて、やや背を屈めてそれを覗き込む。

 赤い瞳が見るのは、水晶球の表面の更に奥。



「……感謝しますよ、タキニアス」

 その呟きは、大層楽しげに、そして暗いものを漂わせる。

 口の端には、やはり微笑が―――しかしそれは、穏やかそうでいてそれと真逆の感情を秘めていた。



 彼の瞳が水晶球の中に見るのは、空の向こうの何かの群れの様子。
 それは鳥のように思えたが、近づいてくるにつれその認識を改める。

 その群れは、陽光にきらきらと個々の身体を輝かせていた。
 金や銀、緑、赤―――その派手な色の群れは何かを目指して突き進む。



 場面が変わった。

 森の中を彷徨うようにして歩く、数十人ほどの男女。
 皆、一様に耳が尖っており、その端整な容姿には焦りと不安が浮かべられている。



 彼の笑みが更に深くなる。
 そうして満足したかのように水晶球を覗き込むのを止め姿勢を元に戻す。

 と―――



「―――随分、早いですね」

「元々此処に来る予定だった」

 サレディがそう言うと、その彼の背後で、淡々とした事務的な口調の男の言葉が返ってくる。

 サレディは先程の笑みをまた普段の微笑に戻し、振り返った。

「まああちらも、気付かれていることは承知でしょう」

「当たり前だ。あいつらが跡継ぎ争いで腑抜けているのなら別だがな」

 少し、男の低い声に感情の色がつく。

 サレディの長髪と違いやや癖のある、無理やり長く伸ばされた黒髪。
 血の気の無い肌に闇そのものの黒い瞳は、不気味な光を宿す。
 端整な顔立ちではあるが、黒ずくめの服とそれはあまり人を寄せ付ける雰囲気のものではなかった。

「竜はどうした」

「寂しがっていますよ。私とお別れすることにね」

「……うまく懐いたものだな」

「ええ、まあ」

 男の皮肉な調子をものともせず、少し満足そうに笑みを深くするサレディ。

「お前に任せたことは、間違っていなかったようだ」

「それは、どうも」

「……情が移ったなど言うなよ」

「馬鹿なことを仰る。まあ……暇つぶしが無くなることには残念に思いますがね」

 おどけたように、残念そうな顔をしてみせるサレディ。

「―――やはり貴様はよくわからん」

「私もそう思いますよ」

 くつくつと笑うサレディに、男も、ふ、と諦めにも近いため息をつく。
 と、男はまた切り出した。

「―――あいつらが動くのは?」

「その時になったらまた伝えますよ。あのエルフの子供が動くのも、時間の問題です」

「そうか。待っている―――あいつらを弱体化させるいい機会だ」

「わかっていますよ」

 やや軽い調子で答えるサレディ。だが、男はサレディの実力の程を知っているので、あまりそれは気にしない。

 ただ底が知れないというのは、やはり不安というものだが。



 男は、いつの間にか姿を消していた。
 サレディはそれにやれやれといったように肩をすくめ、そしてまた水晶球を覗き込む。



 それは、ある部屋の場面。
 ベッドの上に居る紅い髪の少女が、入ってきた銀髪の少年にトレーを渡している。

 今度は無表情にそれを見下ろすサレディ。

 念じると、会話が頭に直接流れ込んでくる。



























 こん、こん。

 今度は普通にノックを鳴らす。
 そしてがちゃりと入ると、中に居た少女は既に食事を終えていた。
 いつの間にか服も着替えている。

 タキニアスがベッド脇に辿り着くと、少女はトレーを少し控えめに差し出した。
 彼はそれを受け取りながら、尋ねた。

「―――名前は?」

「……エルリア」

 彼はそれを聞くと、トレーを持ったままベッド脇にあった椅子に座り込む。
 そしていよいよ、彼が最も聞きたいことに入っていく。

「エルリア―――あんた、俺のことを知っているのか?」

「貴方を迎えに来たの」

「どうして、エルフが俺を迎えに……?」

「竜とエルフは、血と命をかける盟約を交わしているから。そして私は、ここに来れる素質を持っていたから」

 どうも彼の質問の意図とは少しずれたところで返してくるエルリア。
 彼はそれに戸惑いながらも、とうとう聞いてみる。



「―――俺は……竜族、なんだよな?」

 ごくり、と喉が鳴る。



「……貴方が、真実を知りたいというなら」

「…………」

 エルリアは今度は質問に答えない。だが、その言葉にタキニアスは何も言えない。

「失った記憶を、取り戻したいというのなら―――私と、共に来てくれますか」

「―――……」

 彼女の真っ直ぐな瞳に、彼は言葉を詰まらせる。
 そして、恐る恐る言葉を舌に乗せる。

「……もう、ここには帰って来れない……のか?」

「それは、竜とエルフの名誉にかけて、させません」

「名誉? どうしてだ?」

「……それも全て、貴方が真実を知ればわかること」

「っ……どうして! どうして俺に、何も教えてくれない!?」

 タキニアスは泣き出しそうな瞳を揺らしてそう叫んだ。
 だがエルリアはそれを哀しげな瞳で見つめた。



「―――哀れな、竜の子」



 それは、最初にタキニアスが聞いた言葉。



「闇に魅入られ、いつも不安な子。貴方が受け取ったものの裏にあるものは、全て同じ闇だというのに」



 その言葉は目の前の無垢な少女には似つかわしくないもの。
 だが、タキニアスはそれを呆然としながら聞いていた。



「明日の、夜。私は、森の入り口で待っています」

 エルリアは告げた。

「今は、話すことは出来ません」