夜明けの少し前に

第五十一話





 セン=ルムの霧は晴れた。



 それに同じくするように、今日の空は昨夜までの鉛色を吹き飛ばして青々と晴れ渡っていた。
 あちこちに見える空色が、道行く人々の足によって揺らいでいる。
 朝の透明な光を受けて、今日も彼らは日々の日課をこなしていく。

 シルアは久しぶりにすっきりとした気分で目覚めた。
 おそらく、休みを取って体力が回復したせいもあるだろうが―――それ以外の理由もある。
 解決には至ってないにせよ、ほんの少し、心の荷が降りたのだ。
 これも久しぶりな深呼吸を何度かした後、ベッドから降りたのだった。



「今日、出発する。皆、体調は大丈夫か?」

 宿での朝食を終え、食後の香茶が出された後にキーニアスは面々の表情を見回して言った。

「はい」

 エイジスとエルリアは軽く頷き、シルアははっきりと返事をする。

 リードが心配そうに彼女の顔を覗き込むが、そこには救われるような笑顔があった。
 白い肌も幾分血の気が戻っているし、紺の瞳も澄んでいる。
 シルアはリードの表情を見て困ったように笑う。

「大丈夫」

「……そっか」

 リードはそれに安堵し、ふと前を見た。
 フードを被りながら香茶を口に運ぶ人物―――エイジスだ。
 一瞬にして複雑な心中になるが、それは無理やり押し込めた。

「今日はテードルの大きな港町、クワイスに向かう。……夕刻には着いている予定だ」

「えっと、歩くのか?」

 リードが尋ねる。
 キーニアスは表情を変えずに答える。

「この町から途中に立ち寄る町までは馬車を使う。道の状態が余り良くないのだ。
そこで昼食を取り、後は街道を使って歩こう」

「わかった」

 リードが頷くと、キーニアスは席を立った。エルリアもそれに続く。
 リードとシルアがそれを見ていると、エイジスも席を立つ。
 キーニアスは言った。

「準備が終わったら宿の入り口に集まってくれ」

 そうして階段へと向かっていく。
 エルリアは一瞬、視線を二人にやったが、エイジスはその素振りも無くまっすぐ彼らの後に続いていった。

「……んじゃ、後でな」

「うん」

 リードとシルアも立ち上がり、足を二階へと向けたのだった。













































 陽射しも眩しい外はとうに人々の活気で溢れていた。

「……あ!」

 リードが素っ頓狂に声を上げる。
 シルアは少し驚きながら彼のほうを見た。

「リード?」

「あれ、あの人―――」

「あ……」

 宿屋から発ってすぐ、借りてある馬車のある場所に向かう途中。
 彼の緑の瞳は、大分向こうにある建物の入り口で佇んでいる青―――いや、人物を捉えていた。
 シルアも辛うじてそれを見つけ、ぱっと嬉しさを見せた後に複雑な表情を見せた。

「じゃあ、もしかして……?」

 二人は不安な顔を見合わせて、それからエイジスへと視線を向ける。

「…………」

「二人とも、どうかしたのか?」

 代わりにキーニアスが訝しげに尋ねてくる。
 二人はそれにはっとし、少し迂闊だったことに気付いた。

 もしかしたら、気付いてはいけないことだったのだろうか―――



「私の連れだ」

 それまで黙っていたエイジスが突然そう言い放った。



「連れ……?」

 エルリアが眉をひそめて繰り返すと、エイジスはずんずんと歩調を速めた。
 やがて向こうからもその人物は近づいてくる。

 少し向こうで出会った彼らは近い距離で二言三言交わし、そしてまたリードとシルアのいる方へと戻ってきた。



「……あ……」

 エイジスの傍らに立つのは、女性の割には背の高い、青髪を短くまとめた美女。
 身軽な装備に身を包む旅傭兵といった出で立ちの彼女を、キーニアスとエルリアは不思議そうな顔で迎える。

 彼女はその側に居るシルアとリードを見つけると小さく声を上げたが、次には表情と姿勢を正して銀髪の男と紅髪の女に向き合った。

「初めまして―――エイジス皇子の友人、マリナ=アンフィネと申します」

 シルアが、“友人”という言葉に反応を示す。
 マリナは一礼し、言葉を続ける。

「……私は友として、是非彼の旅路を支えたいと……」

「友人」

「え?」

 だが、その単語を繰り返したのはエルリアだった。
 マリナもその言葉に顔を上げ、緊張した面持ちでそのエルフならではの美しい顔を見た。

「エイジス」

「…………」

 彼は黙っている。

「彼女を連れて行くのか?」

 エルリアの短い問いに、彼はほんの間を置いて―――

「―――ああ。そのつもりだ」

「…………」

 あまり感情の無い、だがはっきりとした口調にエルリアは眉根を寄せた。
 マリナも複雑な表情をしていたが、やがて気を取り直したように表情を凛とさせる。

「……足手まといにはなりません。どうか、お供させてください」

 エルリアはその一見迷いの無い表情―――強かな青の瞳をしばし見、黙したまま地に視線を落とす。
 マリナはキーニアスの表情を見た。
 厳格を纏う彼の容姿に気圧されそうだったが、やがてその銀髪の初老の男は頷いた。

「いいだろう」

「キーニアス、彼女の旅費は私が―――」

「いや、いい。お前が連れて行くというならば、そうしよう」

「…………」

 怒りも感じられない言葉に、マリナの緊張は解けなかったがそれでもどこかで安堵はしていた。

「―――あ、有難う御座います……!」

 いつの間にか歩き出しているキーニアスに向かって、慌てて深く礼をした。



「―――すまない」

 脇を通る時にキーニアスに聞こえたのは、短い……そう、感謝の言葉だった。