夜明けの少し前に 第五話 ざ、と少し強めの風が草原を荒々しく撫でていく。 時々思い出したように翳る、寝起きの太陽。向こうを見渡せば、雲の陰がそこかしこに落ちている。 目指すは、中央大陸。結局月の光についての情報は、ここアノールの大陸では何も得られなかった。 その為にはまず、港町ヘルゼを目指すことに決まったのだった。 そのヘルゼに繋がる街道が始まる、丘。 それは丁度、森と荒野が切れて始まる草原を進んだ先にある。 お互いの中間点とでも言うように存在するそこで、お互いの種族はもう一度会い見えることとなった。 少し勾配のつき始めた、草に埋もれかけている道をフォルンの少年は進んでいく。 その後ろを、父アラードと、重役たちと、そして従兄弟ハルディンとその両親、最後に友人たち。 愛用の中剣を腰から下げ、荷物を詰め込んだ皮袋を肩から提げ、まだ新品の軽鎧をかたかたといわせながら歩くリード=デイジャーは、見えてきた丘の頂上にある人物を見つける。 また風が吹いて、黒髪がなびく。 それは陽の下であっても神秘さを失わなかった。 シルア=シャロンは彼のことを見つけ、そのほうに向き直る。 その後ろには、長アックム=イーシュと母親リゼア、そしてその他の見送りの人たち。 「……久しぶり」 「ええ」 リードが丘の頂上に着いてそう言うと、シルアも笑いはしないものの自然に応える。 お互いの見送りの人々はそのやや親しみのある二人の仲に少なからず不審を抱いたが、決して追求しようとは思わなかった。 旅立ちの時が、ついに来たのだ。 「……リード」 「シルア!」 両の種族の集まりからそれぞれ一人ずつ人が飛び出す。 フォルンの長、そしてリードの父のアラード。 イシュフェルードの巫女世話役、そしてシルアの母のリゼア。 アラードは、息子のやや小柄な身体を久しぶりに抱きしめた。 軽鎧が当たるのも気にせず、力の限り抱きしめる。 「……とう……さ」 父さん、と完全に言えず、リードはそのまま顔を素直に父の大きな胸に埋めた。 泣きそうになるのをこらえて、でも、少しだけ―――涙を、滲ませて。 一方、シルアも母リゼアの暖かい、優しい香りのする身体に包まれる。 リードと同じく、シルアもなるたけ泣かないようにと頑張った。 しかし、その優しく力強い母の腕に、すがるように手を寄せてしまう。 「お母様……」 「シルア、元気でね―――立派な巫女になって、帰ってらっしゃい」 「―――はい―――」 そして、両の親子は、長い抱擁の後、身を離す。 『いってきます』 若い二人は、同じ言葉を伝えて。 「り、リード!」 「ほんとに行くのかよ……!」 途端に、わいわいとリードの友人達、そしてハルディンがリードの元に駆け寄ってくる。 茶髪、金髪、黒髪と色々な頭に埋もれる中リードは笑顔で応える。 「おう、行ってくるぞ!」 「ぶっ、リード……お前、行く気満々じゃないかよ」 「へへ」 ハルディンはわしわしとこげ茶の髪を大きな手でかき回しながら言う。 リードはくすぐったそうにしながら楽しそうに笑顔を浮かべる。 そして。 「ハル、行ってくるよ」 彼の真剣な眼差しをハルディンは真っ直ぐに受け止める。 「ああ」 「俺、強くなる。もっと、世界を見てくるよ」 自然な笑顔。真っ直ぐな言葉。 従兄弟であり幼馴染のハルディンは、いつだってリードが真っ直ぐであることを知っていた。 彼は、あの日に言った言葉を後悔していた。もしや、リードは重荷に感じてしまうのではないかと…… それこそ、杞憂だったのだ。 「……ああ、行って来い」 リードがそう言うなり、ハルディンはリードの―――幼馴染であり従兄弟の自分より小さい身体を抱きしめる。 リードは、今度こそ……涙を数滴、こぼした。 他の友人達とも一通り抱擁を済まし――― 「ほら、リード……待ってる」 ハルディンの、どこか寂しそうな言葉に促され、涙を拭い振り返る。 長アックム=イーシュが、元の場所へと戻っていくところだった。 何処までも続くような、草原を走る道。 その始まりの場所には、……一人の、美しい少女が。 シルア。シルア=シャロン。 イシュフェルードの、美しく若い巫女――― 「―――それじゃ、また! 絶対、帰ってくる!」 振り返り様に叫ばれた、リードの力強い言葉。 わああ、という主にフォルン側の歓声と、イシュフェルードの期待と不安に満ちた眼差し。 リードは、シルアの隣に立った。 お互いの顔を見て、視線を一瞬重ねて―――そして、前を見た。 旅は、始まった。 地図もある。道具もある。だけど、何も知らない。何もわからない。 それでも、二人は進むだろう。 月の光を、持ち帰るために。 世界を、知るために―――。 |