君の行く先。 -1- 「どっこ触ってんだこのボケぇぇ!!」 どんがらがっしゃんと、テーブルはひっくり返り料理を載せた皿は非情なまでに見事に裏返し。 「ひっ、ご、ごめんなさ」 「謝るぐらいなら触るんじゃねえよ……!」 とある町の、ちょっと寂れた酒場。 物言わぬ常にむっつりとした顔の親父店主、好き好きに騒いで酒を飲む傭兵や流れ者。 時は夕方。太陽が休養に入ると、客はどんどん増えてくる。 今日もいつもと同じ、馬鹿笑いと注文と怒号が飛び交う店内だったのだが。 親父の話によれば、曰く、ごろつきっぽい男の一人がある女の客の尻を触ったとの事。 まあそれで、「最低!」とか言いながら店をさっさと出て行くのならよかったのだがどうも今回は違ったらしい。 椅子に片足乗せて、中々に体格のしっかりした男の胸倉を掴んで怒りの形相で睨みつけているやや小柄な女。 「それとも何だ? 俺が“商売”してるとでも思ったのか……?」 燃えるような赤の、やや癖っ毛のショートに同じく今は怒りに燃えている赤い瞳がぎらりと凶暴な輝きを増す。ぐっと男の胸倉を掴んでいる手が更に持ち上げられる。 男は端から見ても気の毒なくらいだらだらと汗を流しながら首をぶんぶんと振る。 「そそそそんな、滅相もない」 「ふうん……」 「ほ、ほら、何か酒おごってやるよ!! この店で一番高いやつでいいぜ!?」 声が上ずっているとか何というか、本当に気の毒である。 男がそう必死に手振りを交えて話す様を女は今度は冷ややかに見つめる。 「酒ねぇ」 「そ、そう、酒……いいだろ?」 男が女の短い呟きに少しほっとしたようにそう言うと――― 「いいワケねえよこんの痴漢!!!」 「ひぃっ……ぐへっ!?」 ややハスキーな声でそう言い放つと、女は容赦なく男の身体を投げ飛ばした。 他の客はしっかり料理と酒を持って避難しながらテーブルともどもひっくり返ったその男の哀れな様を見ていた。 そして恐る恐る女の方を見る。 赤の髪に赤の瞳。小麦色の肌。 顔立ちは少々勝気で可愛らしいものなのだが、何分その服装や言動が普通の女性とは一線を画していた。 服装は、剣士や魔術師のそれではない。 鍛え上げられた身体にぴったりと密着する布のタンクトップにホットパンツ。 少々擦り切れた皮のブーツに手袋が、彼女の“武器”をそのまま示しているのかのようだった。 そう、彼女は格闘士。 屈強な男達に少しも動じないのも全ては彼女の肉体の持つ強さ故。 余計なものは要らないとばかりに露出された肌。 綺麗に筋肉のついた、無駄の無い魅力的な線を描く身体。 そこらへんの男なら見とれても無理は無い。ただ、手を出すのは余程の腕を持つか愚か者か。 彼女はちゃりちゃりん、と自分の飲んだ酒の分よりは多めに銀貨をカウンターに放り投げる。 「弁償はそこのボケ男にさせておけよ、親父!!」 そして酒場を後にした彼女。 男勝り―――いや、男のものと差し支えの無いその口調は、似合いすぎていてただ他の客はぽかんとするばかり。 親父―――店主といえば、無言で、いつもよりしかめっ面をしてこの惨状を見渡したのだった。 ぽん。 肩に置かれた手。女は立ち止まる。 「どうも」 そして声が掛かる。 嫌々女が振り返れば、そこには無精髭が似合う20代半ばの黒髪の長身の男が少々軽い笑みを浮かべて彼女のことを見ていた。 肩に置かれている手はどう見ても彼のものだ。 女はあからさまに不機嫌そうに、じと、と彼を見る。 だが男はわざとらしく怯えたように手を離してそのまま敵意はないというように両手を小さく挙げる。 「別に尻触りに来たんじゃねえよ。ただちょっとな」 「……何?」 低くした声でただそういう彼女に男は続ける。 「俺の料理。あんたのお陰で吹っ飛んだ」 ぴっ、と指差して何やら真面目な顔で言う。 ライは先程と変わらぬジト目で答えた。 「悪いのはあの痴漢だ。俺じゃない」 「投げるにしてももっとましな方向があったろーが。壁とか」 「……あの男の懐探って注文しなおせばよかっただろう」 「そーいう問題じゃねえんだなあ」 何かと思えばよくわからない言いがかりをつける男。 女が更に機嫌を悪くして身体ごと振り返って――― と、そこで男の表情を見て彼女は直感的に思いつく。 「―――で? 何か俺に頼みたいことがあると?」 「ご名答」 女の察しの良さに、にやり、と満足そうに笑みを浮かべる男。 男の服装は砂に汚れたマントを羽織った流れ者のそれだが、その下はそれなりの腕の傭兵なのだろうと彼女は踏んだ。 「ちょっとばかし話聞いてくれるか? あの男の代わりに酒奢ってやるよ」 「……わかった」 男がにやにやとそう言って来るのに彼女は多少機嫌がまた悪くなったが、仕事ということもあって何とか抑えるとむっつりとそう答えた。 「親父、一番良い酒頼むわ」 あいよ、と声が返ってくるのを聞いて男は女の方を見る。 気を取り直すように入った別の酒場は先程のよりは落ち着いた雰囲気があり、ここなら彼女が一悶着を起こすことも無いだろうと男は安堵していた。 琥珀色の液体が注がれたグラスがことりとカウンターに置かれ、男はそれをちびりとやる。 「……名前は?」 女のほうから話し出す。 男はグラスの中の酒を揺らしながら答える。 「シェリグだ」 「フルネームだ」 「―――シェリグ=アンビート」 男―――シェリグは素直に従い名前を言う。 女はそれを聞くと、自分も酒を一口含む。 「……俺はライ=サウラー」 「やっぱりか」 シェリグは女の名前を聞いて、にっと笑いそう言うと一気に酒を煽る。 女―――ライが訝しげな顔をするのも気にせず、奥にいる店主の酒のお替りを頼む。 「やっぱりってどういうことだ」 「あんたの名前は結構広まってるんだ。知らないのか?」 「弱いやつが騒ぐことなんぞ興味ない」 「……そこらへんも噂通りだな」 追加の酒が注がれる頃には、ライのグラスも空になっていた。 周りでどっと馬鹿笑いを起こす客達のグループをライが一瞥すると、少々その場が静まった。いや、彼女に名声などが無くとも客達は同じ反応をとらざるを得なかっただろう。 「……成程?」 「おい、程々にしておけよ?」 「お前に言われる筋合いはないね」 「なんでだよ」 だがライはそ知らぬ顔でシェリグと同じく注いでもらった酒をちびりと飲んではその揺れる液体を眺める。いい酒が入って少し機嫌が良くなったらしい。 シェリグもまた酒を一口飲んで、やや重い声で切り出した。 「―――誘拐された子がいる。力を貸してほしい」 ぴくり、とライの眉が跳ね上がる。 「誘拐?」 「ああ。この町の普通の鍛冶屋の娘らしいんだが―――色々あったらしくてな、2日前に出かけていたところを攫われたらしい」 「誰に」 「ここいらの盗賊団だ。名前は……アーグとかいったな」 「アーグ……」 「規模がでかいらしくてな―――俺の魔術でふっ飛ばしてもいいんだが、人質が居るんじゃそうもいかねえだろ」 ライは酒の残ったグラスをことりとカウンターに置く。 シェリグは続ける。 「だから、周りに居る雑魚どもをあんたの力でどうにかしてほしいんだ。勿論俺も加勢はするが、あくまでも救出が最優先なんでな」 「……報酬は?」 ここでライは店に入って初めて男の方をしっかりと見た。 射抜くような赤い瞳に、シェリグも流石に目を逸らせない。 「―――前金はアリオ金貨で……20枚。残りは30枚だ」 「50枚……ふん」 ライは鼻を鳴らし、酒をぐっと煽るとタン、とグラスをもう一度置いた。 「いいだろう、人の命がかかっているなら」 「助かったよ、ありがとさん」 シェリグがそう言うと、ライはすっと立ち上がる。 「今すぐか?」 「いや……明日の朝から昼にかけてやる。あいつらの隙を突く」 「人質は大丈夫なのか」 「おそらくはな」 「……わかった」 「ほい、前金だ」 彼は懐をごそごそとすると、重みのある皮袋をライのほうに放り投げた。 彼女はそれを受け取り、手持ちの荷物の中に入れる。 「確かに受け取った」 「夜が明けたら、近くの林の入り口まで来てくれ」 「わかった」 シェリグの言葉にライは一度頷くと、ばっと身を翻して酒場を出て行く。 彼はグラスに残った酒をちびちびと含みながらぽつりと呟いた。 「……気がすすまねえなァ」 その呟きは、睨みのなくなった客の騒ぐ声にかき消された。 |