闇がくれたもの

第一話





 晴れ渡る夜空に満月の光が冴え渡る。

 夜の木立の隙間に差し込む月光が、夜風に揺れる木の葉と共に揺れた。






 ざざざ、とその木立の中を何かが突き進む音。
 まばらに差し込む月光が、木の葉を散らして走る銀光を捉える。






 流れる視界は、緑と黒と白。
 翼は開かず、飛び込んだままの勢いで進む身体―――鬱蒼と茂る枝が月光に煌く中を、まだ若い葉が散ることも気にせずに突き進む。

 心地よい。
 人の姿では到底味わえぬ、開放感。

 うっとりとその深緑の双眸を閉じれば、全ては闇の中。






―――哀れな、竜の子―――






 突如、脳裏に響く声。はっと閉じた瞳を開く。
 子供のような、少女のようなその声は自分のことを言っているのに他ならないと直感し、翼を広げて枝達をへし折りながらその身体を上へと浮かせていく。

 ざん、と翼を広げたその影はどんどんと高みを目指し、ぱんと一度また翼をはためかせるとやや冷たい夜風に乗って満月を囲むように旋回し始める。
 その様を森のやや開けた場所から見上げているのは、一人の少女。

 少女の月光に紅く煌く髪を、遥か上から地を見下ろす“彼”が気付かぬわけはなかった。












 少女の背丈の2倍ほどもある彼は、少女の目の前に降り立った。
 白い肌に紅い髪と紺の瞳。尖る耳は人の知を超えて生きる者の証。
 儚い美しさと愛らしさを備えたその少女を、彼は見下ろした。






「貴方のことを、迎えに来たの」






 紺の瞳は真っ直ぐに深緑の瞳を捉える。
 ただ漠然としたその言葉の意を測りかねずにいる彼を、少女はしばし見つめた後。



 突如糸が切れたように、少女の瞳が閉じられ、その小さな身体が前に傾ぐ。
 とさ、と軽い音を立てて草の中に倒れこんだ少女を彼は呆然と見下ろしていた。



















































がたんっ……ばたぁぁん……






 重みで独りでに閉まる扉。月光も届かず、扉の閉まる音の余韻を残して玄関は再び闇に包まれる。
 と、その向こうからゆらゆらとした明かりがこちらに向かってくる。

 明かり―――ランタンを持っていたのは、夜着に身を包んだ茶の長髪を揺らす男。
 若いといわれれば若いのだろうが、それ以上の年であると言われても納得してしまいそうな不思議な雰囲気を持った彼は、玄関の方を見て少し驚いたような顔をする。

「タキニアス、どうしました。―――その子は……?」

 玄関には、一人の少女を抱えた少年が一人。
 ランタンの明かりに、彼の銀髪と少女の紅い髪が輝く。
 少女は少年の腕の中で、気を失っているようだった。

「―――サレディ、部屋……あるよな」

 僅かに焦りを滲ませる声。
 涼やかな目元に真剣な光を称える深緑の瞳を見て、男は微笑を浮かべた。



「ええ。運びましょう」










































「……よく、見つけてきましたね」

 ランタンの明かりだけの部屋に、すうすうと安らかな寝息が響く。
 ベッドに眠るその寝息の主の傍らに、椅子に座ってその様子を見る茶の長髪の男の後姿を、少年は見るともなしに見ていた。
 すると声を掛けられ、少年ははっとしたように壁にもたれていた姿勢を少し起こした。

「どういう意味だ?」

 そう聞き返すと、その後姿はこちらを振り返ってきた。

 その顔には、いつもと同じ微笑がある。
 年齢不詳の甘いマスク、そして片眼鏡が理知的な印象を与えるこの男は、人によってはやや目を見張る暗い赤の瞳にいつも人を面白がるような光を秘めている。

「この暗い中で、よく見つけられてきたということですよ」

 声も口調も穏やか。その癖、人を寄せ付けないような何かが含まれている気がしてならない。
 だが少年はそれに慣れているのか、無表情で眉一つ動かさずそのまま答えた。

「……その紅い髪……月で光ってたんだよ」

「ああ、成程」

 また前を向いて、しれっと言う男。
 少年はふう、とやや大きく息を吐いて前髪を片手でかきあげた。彼の銀髪も中々に目立つのだが、少女の髪はそれ以上に上質な絹糸のように煌く。

「……思い出しますね」

 ふと、男は呟く。

「貴方がここにやって来た時も、満月でしたか」

「……俺は、覚えてないな」

 男の懐かしむ声音に、少年は何ともいえない気持ちで答える。

























 それはやはり真夜中に。
 随分と派手な、ガラスの割れる音。そして、どさ、と何か重いものの落ちる音。



 男が駆けつければ、そこは悲惨な状態。
 2階の廊下、その窓の一つが中心から突き破られている。
 ガラスの破片と枠組みの一部がその廊下の一帯に散らばり、その中心には―――

 一匹の、小さな竜が。

 小さく丸まった身体に綺麗に生え揃った銀の鱗に所々血を滲ませながら、きゅ、と弱々しい鳴き声が不規則な息遣いと共に聞こえる。
 ほんの赤ん坊程の大きさをしたその竜の子を、男は拾い上げその胸に抱えて―――
























「―――さあ、タキニアス。後は私が見ていますから」

 振り向かずにそう言ったので、少年―――タキニアスは壁から身を離して返事をした。

「わかった。悪い、サレディ」

「いえ。―――お休みなさい」

「おやすみ」

 また少し振り返って挨拶を告げる男―――サレディの顔を見て、それからベッドの上の少女を一瞥してからドアへと向かった。